18日から学校行事として行われていた水泳訓練の最終日。その日は10日間の訓練の成果を試す水泳テストが行われました。
場所は三重県津市の中河原海岸。参加したのは橋北(きょうほく)中学の男女生徒たちでした。
海岸は穏やかな遠浅の海で、深さは80~100センチほどです。
コースを男女別、さらに200人の女子生徒は泳げる組と、そんなに泳げない組に分けられました。(大部分の女子が泳げない組だったそうです)
その女子生徒たちが泳ぎ始めてわずか数分後、突然足元をすくわれるような流れと、盛り上がるような海面のため、一斉に身動きが出来ない状態に陥り、100人あまりが溺れました。
慌てて、引率教師らが救助に向かい、水泳部員や海水浴客らもこれに応じましたが、結果として36人が溺死するという大惨事になってしまいました。
その後の調査や裁判などで、事故原因が追求されましたが、突然の沿岸流だったのではないかなどいくつかの説がありますが、確定はされませんでした。
ところが、事故直後から不審な噂が流れ、それが1963年7月22日週刊誌『女性自身』でも紹介されました。
生存者の証言として、溺れた時に、ぐしょ濡れの防空頭巾を被ったもんぺ姿の女性に足を引っ張られたという話を紹介したのです。
集団水難事件のちょうど10年前の同日、津市は米軍の空襲を受け、全市で多大な被害を出しました。
その時、身元不明の死者数十名の遺体を、この海岸に埋葬したといいます。
週刊誌には、その遺体から滲み出た脂で枯れた木の根の写真という物も掲載されています。
10日間にわたり穏やかだった海岸で突然何が起こったのでしょうか?
少女が見た物は、パニックに襲われて感じた幻想だったのでしょうか?