海と船の不思議 30 来福丸事件 | われは河の子

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第30話になりました。
よくここまで来たもんだと思います。
(番外のエビスと人魚、メアリー・クレストは3回にわたりましたから、33回もくだらない話を書き綴ったことになります)

そもそも、船は、あの世(彼岸)とこの世(此岸)をつなぐ物なので、様々な怪異と不思議の舞台となります。
そんな意味では、各地の「橋」にまつわる怪しいハナシも集めたいのですが、船だけでもまだまだ続きそうですね。

今回は、大正時代のカナダの海でのお話しです。
これからの30分間、あなたの目はあなたの身体を離れ、この不思議な世界へと入ってゆくのです。
(30分もかからないけどね。このフレーズがわからない人は、おんぷ♪ さんとか、ジャスティンさんに聞いてね。とムチャ振り)

来福丸は、1918(大正7)年に川崎造船所で作られた9000総トンの貨物船です。
この当時の世界最短建造記録となる30日で作られました。
世は明治から大正になり、日清日露の戦争に勝った日本は、せいいっぱい背伸びをして、海外に版図を拡げようとしていた時代でした。

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来福丸の古写真 。ウィキよりお借りしました。

様々な物資を世界中に運ぶ仕事を請け負っていた来福丸は、ボストンからハンブルグに向かう途中の1925(大正14)年4月21日に、カナダのハリファックス沖合で嵐に会い遭難します。

遭難信号を受電したイギリス、ホワイト・スターライン社の客船ホーメリックが現場に急行しました。
しかし、ホーメリックが救助ボートを出すこともなく傍観している間に来福丸は沈没し、船長以下38人が死亡しました。

ホーメリックが現場に到着した時、船はまだ波間にあり、十数名がしがみついていたといいます。
白人がいなかったから助けなかったのではないか。これは第二のノルマントン号ではないかと非難を集めました。
また、ホーメリックがタイタニックと同じ会社の持ち船だったことも、いろいろ取り沙汰されたようです。
日本は、国際労働機関というところの総会でこの案件を取り上げてもらうつもりもありましたが、日英同盟とのからみや、総会への議題提出期限をすぎていたことから、それ以上問題にせずに事件を収束させました。

不思議なのはこの事件が、はるか後になって、バミューダ・トライアングル(魔の三角海域)での消失事件として語られることです。
来福丸の沈没は目撃者もいて、かなり正確にわかっているのにもかかわらず、カナダ近海の沈没事件が、南米に近いバミューダ海域での原因不明の船舶消失事件になっています。
『匕首(あいくち)のような危機が迫っている!』と無電が伝えたともいわれますが、それも大嘘です。

助けが得られずに見殺しにされたばかりか、全然無関係な怪奇現象扱いされた来福丸に同情を禁じ得ません。