函館市富岡町1丁目。未だ買い手がつかない私の実家。
そこから歩いて5~6分のところに「土方沼」がありました。
昭和40年代までの話です。(当時は亀田郡亀田町字富岡でした)
「ひじかたぬま」と読んだアナタ。
気持ちはわかりますが不正解です。地元では「どかたぬま」と呼称されていました。
私が小学生の頃に埋め立てられ、児童公園ができました。
ごくローカルな地域の話題のため、函館市民でもこの沼を知っている人は、今ではごく少ないと思います。
それこそ当時から土方ファンだった私としては、なんとかこの沼と土方歳三との関連付けを考えていました。
歴史ファンの皆様はご存知の通り、江戸時代は識字率が低く、読みさえ合えば音はどうでもよく、
また逆に音がおなじなら字は当て字も普通だったのです。
死んだ親父は、最後まで「つちかたさいぞう」といっていました。
だから「どかた」=「ひじかた」も、当時亀田といわれた田舎ではありか?と思っていたのです。
そこで、2年前に親父の介護で函館に戻った機会に図書館でいろいろ調べました。
実際は土方(どかた)、今でいう土木労務者が掘った沼だから土方沼だったという、極めてシンプルな由来だったことがわかったのです。
ところが、じゃあそれは何のための土木工事だったのか?というところから、意外な事実が現れてきたのです。
そこには旧友のサゼスチョンがありました。
現在函館市内で土建会社に勤務し、私と同じく土方沼の近くで育った中学時代の同級生「ミミ」が酒飲み話で語ったのは、
「国鉄 幻の戸井線」の謎についてでした。
(続く)