大学のとき、総長がやってた映画論の講義を取ってた

「映画は映画館で観るべし」とゆってた

ここぞという映画はなるべく映画館で観ている

 

京本のように、言いたいことを言えず虐げられた人生送ってる生き方に感情移入しすぎて

(※今は真逆の生き方だがw)、自分的には到底冷静に客観的に観れる映画ではなかった

加えて、題材が京アニ事件であり描かれている人物は被害者と重なる

物語というよりも現実に起きた凄惨な事件のドキュメントを見ているに近いものがあるから、

絶望しかなく、観ていて苦しくなる映画だった

 

確かに、映画としてはむちゃくちゃ良くできているが、

こういう映画を「感動しました!」「泣いた!」

…という感想を述べられる人はきっと、

京本的な人生とは違う人生を送ってきてるのだろう(?)

たとえば、東日本大震災を題材にした「やがて海へと届く」という映画がある

冒頭で行方不明とされている主人公の親友は、

実は東日本大震災の被害者であり、

主人公は中々親友の死を受け入れられないというストーリーだ

これを見て、「わー感動した、面白い!」

…は震災被害者への冒涜とまではいわないが、それはなくないか?w

 

自分には到底理解できない感覚だということは正直に書いておきたい

 

京本に感情移入し過ぎた結果、

自分が殺されたというか存在が否定されている感覚になりながら見ていたので、

何か急に「このバッドエンドは夢オチ」みたいな流れになったとき、

ああん?どゆこと?

いやだがしかし、夢オチだと何かストーリー的には破綻しまくりが気もするがもうなんだっていい

夢オチでいい

こんなに生き方を変える為に頑張ってるこの被害者の生き方は報われるべきであり、

何が何でも助けて欲しいと祈りながら見ていたが、

そういう話ではなかった...w

 

まあそもそも、

「不器用な奴が何故か認められ幸せを掴むストーリー」はありがちだが、

現実はそうではないと感じることが多い

いつからか、主張しないことは単なる努力不足、

心が弱い弱者の言い訳に過ぎないと感じるようになった

結局は「生きるか死ぬか・やるかやられるか」であり、

強い奴・図々しい奴が美味しいところを持っていく

ITフリーランスになったあたりからは特に、

自分だけが生き残って全部の仕事をかっ攫う積りでやってる(外面は丁寧、内面は極悪w

 

感動ではなくただ辛くてどうしても涙が止まらずメンタルがやられた

自分はもう今後はハッピーエンドの映画しか見ないw

 

でも、それはそれとしてこの映画は(先の理由で傑作という言葉が相応しくないように思うが)、

映画史に残りそうな作品である

そもそも作者は泣ける物語で感動させに来てるのではなく、

京アニ事件で志半ばにして夢が断たれた被害者の鎮魂のために作られた作品だと感じた