滋賀東近江・長浜(少し彦根)を探訪す その1 長浜城・慶雲館 古き良き明治は遠く、小京都の長浜
妻 「アナタ~! どこかへ行きましょう!」 (妻は、家でじっとしておれない性格です)私 「海洋堂ミュージアムがある 長浜へ行って見たいなあ・・・」 (オタクの私には聖地です)妻 「娘が小さい頃に行ったきりね。 彦根も近いし、近江牛を食べるわよ!」 (肉が大好きな妻です・・・嗚呼)ということで、JRで長浜へ向かいました。京都から1時間ほどで、長浜駅に着きます。 (米原で、東海道線と北陸本線へ向かう列車が 分離されるので、間違えないようにしましょう)前回来た時は、車だったので、駅に降りるのは 初めてでした。伊吹山が、夏空に威風堂々としていました。この日は、ちょっとした催し物が開かれてました。 (小型SLが走っていました)浅井長政を滅ぼした秀吉が 長浜に城を構えて、琵琶湖の水運に 睨みを利かせました。 (秀吉が、長浜と言う地名を付けたそうです)長浜駅のすぐ近くに、長浜城があります。現在の長浜城は、昭和58年に建築され 館内は歴史博物館となっています。長浜城の築城の記録はほとんど残っていないので 謎が多いお城だそうです。入館料は大人330です。 (周遊チケットを買うと、いくつかの施設を 安く入場できますが、購入しませんでした。 理由は、海洋堂ミュージアムを周遊で入館すると 記念フィギュアを貰えないからです!)5階建てで、一番上の望楼からは、 琵琶湖などの、360度のパノラマが見えます。顔パネルがあると、必ず記念撮影!長浜城は、1615年に廃城となり、石垣や建築材は 彦根城などに運ばれ、短命な城となりました。彦根城が、湖北支配の中心となりました。長浜城前の公園には、ニホンザルの檻がありました。年老いた雄猿が、一匹寂しく寝ていました。夜を儚んだように、スズメが餌のパンを横取りしても まったく気にかけることなく寝たままでした。なぜ、ここに猿が飼われているのか謎ですが、 どうにかならないのかと思いました。 (掃除もされていて、ちゃんと世話はできているようでした。 自然に返すのも、難しいのかもしれません)長浜パンフレット観ていた妻が妻 「アナタ~! 近くに名庭園があるわよ!」長浜鉄道スクエア前にあります。最近、庭園や古い屋敷巡りが続いています。慶雲館は、豪商・浅見又蔵が、明治19年(1886)に 明治天皇皇后の京都行幸のために 建築された屋敷です。慶雲館の命名は、行幸に同行した 伊藤博文だそうです。高さ5m、重さ20tの自然石で作られた 大灯篭が迎えてくれます。1階の大広間です。庭は、慶雲館建築25周年を記念して、造営されました。妻 「アナタ~!この庭を作ったのは この前に行った無鄰菴の庭師 七代目小川治兵衛よ!」 (無鄰菴については、6/1の記事に書いています!)妻 「何かの縁だわ!ちょっと怖いくらい!」 (名人庭師小川治兵衛の作庭したところを 続けざまに訪れたとは・・・何かが・・・嗚呼)枯山水の渋いお庭です。管理人 「ツツジが見事に咲いていたのですが・・・」茶室もあります。母家は2階建てです。とても暑い日だったのですが、 昔の建築は、部屋の中が、 とても涼しいのは、なぜなのでしょうか?2階です。2階には、明治天皇陛下皇后が座られた 玉座があります。 (座ってみたい(禁止ですよ!)と思ったのですが、 あまりにも恐れ多いことなので・・・。 明治天皇が行幸された頃は 琵琶湖の船着き場がすぐ横だったので 直接、慶雲館へ登楼されたそうです。 (今は、琵琶湖の海岸は、離れてしまっています)明治に作られた照明が、梅の花の形をかたどって 洒落ています! (名もなき職人、デザイナーが 「いい仕事をしてますね~」 職人が減っている日本は、 衰退そのものです)贅を尽くした屋敷を作ることができた時代は 日本に失われたようです。 ****** 長浜探訪 続く ******