ランク Bの上
姉を妊娠させて捨てた証券マンに
大学生の弟が復讐を実行するが・・・
どうなったかは、映画を観て下さい。
東京の金持ち?大学生の奔放な
学生生活を描きながら
社会批判と皮肉を込めた
ラブストーリーです。
昭和33年の東京が舞台です。
当時の大学進学率は
男子19%、女子13.3%でした。
まして、東京の大学生ですから
さらに、選ばれた一部の学生となります。
この映画に登場する大学生たちは
恵まれた上級国民の子女となります。
ゆえに、銀座の歓楽街「親不孝通り」に
入り浸るだけの経済的余裕が
あったようです。
(東京で勉強せず、銀座の歓楽街で
遊んでいる学生のたまり場を
「親不孝通り」と言うそうです。
一度は、死ぬまでに銀座で遊んでみたいと
思っている地方出身者の私には、
夢物語です・・・トホホ、嗚呼)
私なんか地方大学で貧乏していたので
この映画のような学生生活なんか
あり得ませんでした。
(嗚呼!羨ましい!)
たぶん、公開時にこの映画を観た
若者の多くは、御伽噺のように
観たのかも知れません。
夢を売るのが映画の要素だとしたら
この映画は、まさしく、貧しい若者たちに
憧れを抱かせたと思います。
主人公などが就職難で苦労する
シーンが描かれていますが
昭和32年夏(1957)~33年秋までは
「なべ底景気」と言われていました。
(好景気による設備投資、生産拡大による
輸入の増加で、デフレが起こりました)
しかし、33年7月(1958)~36年(1962)の
「岩戸景気」と言われる高度成長期時代が
始まります。
この映画は、「なべ底景気」時代を
描いている作品です。
就職難で将来に希望が持てない大学生が
夜な夜な銀座で遊びに明け暮れます。
差し迫って生活に不自由のない主人公の大学生は
賭けボーリングで小遣い稼ぎをしています。
この大学生を演じたのは
川口浩です。
父は作家で、大映の専務・川口松太郎、
母は、女優・三益愛子という
芸能界のサラブレッドです。
まさしくこの映画のお坊ちゃま大学生を
地で演じることができると言えます。
とは言うものの、慶応高校中退し
俳優座養成所を経ているので
確かな演技力を持っています。
(俳優引退後は
「ヤラセ」TV番組の
「川口浩探検隊」で
人気者になります)
ヒロインは、大きな瞳が魅力の
野添ひとみです。
松竹舞踊学校へ入学時から、
映画デビューをするというスター街道を
走ります。
松竹所属だったのですが
付き合っていた川口浩が
強引に父・松太郎を説得して
大映へ移籍します。
(野添には、双子の姉がおり
姉は大映のプロデューサーとなり
TVドラマ「ザ・ガードマン」「赤いシリーズ」の
ヒット作を生みます)
大映では、浩と共演し、
1960年に、結婚します。
(17歳で次女が亡くなったり、
川口家の薬物問題で
苦労が続きます)
この映画は、結婚前の
付き合っていた頃の作品です。
この映画の浩とひとみは
息の合ったというか、
演技の恋愛を楽しんでいるように
見えるのは、色眼鏡なのでしょうか・・・。
実は、父・川口松太郎の小説を
映画化しているので、
親公認ということになるのかなあ・・・。
主人公の姉の恋人役は
キザな証券マンを演じる船越英二です。
俳優に、さほどなる気が無かったのに
俳優になってしまいます。
とはいえ、天性の器用さからか
二枚目、コメディ、文芸作品と
どんな役でも演じることができる
実力派俳優として
活躍します。
過剰な演技をせずに
役柄を自然に演じることができる
名優です。
この映画でも、その演技力を
存分にさりげなく発揮しています。
(もっと名優として、
評価されるべきだと思っています)
この映画は、主人公の姉の恋模様と、
若い学生二人の恋の鞘当てを描いています。
姉の恋の駆け引きから、
復讐劇が始まり、どうなるかは
映画を観て下さい。
就職難、学生運動、堕胎などの
当時の社会問題を、ピリッと利かせた
辛口な面を、しっかりと描いています。
監督は、東大法学部卒の超エリートインテリの
増村保造です。
(東大学友の
三島由紀夫主演「からっ風野郎」も
監督します)
文芸作品からエロ映画まで
ありとあらゆる分野の娯楽作品の
ヒット作を監督します。
大衆が喜ぶ娯楽作品を作らせたら
日本一二の監督だと思います。
(「赤いシリーズ」「スチュワーデス物語」など
大映テレビでも大ヒットを連発します)
無駄のないスピーディーな演出で
観客を飽きさせることのない
計算された職人技の監督です。
この映画も、ダラダラと描いたら
現実感の薄い物語になるのですが
テンポの良さと、風俗描写の上手さが
際立っています。
(ひょとした監督は、ラブストーリーよりも
昭和33年という時代を
描きたかったのかも知れません)
小気味のいい洒落た映画です。
都会センスにあふれた
ラブストーリーです。
是非、ご覧ください。
「日本映画専門チャンネル」で観ました。
(昭和中期の日本映画を
どんどん放送してもらいたいです)