ランク Bの上~Bの中

 

エノケンの座長の旅役者たちが

  ひょんなきっかけから、

    一流劇団へと大出世をする

      ドタバタコメディ映画です。

 

 

原作・菊田一夫で、舞台劇で大ヒットしたのを

  映画化したものです。

 

昭和の浅草オペラ、軽演劇などで活躍した

  芸達者なコメディアンの

    オールスター出演映画です。

 

原作の菊田一夫は、横浜生まれですが

  出生後すぐに養子に出されて、

    不遇な境遇をおくります。

 

 

 小学校途中で、

   大阪薬問屋へ年季奉公、丁稚奉公を経て

    仕事を転々としながら、夜間学校を卒業し

     文学、演劇、芸能の世界へ入ります。

 

  年季奉公:期限付きの給料なしの住み込み

 

  丁稚(でっち):商人の家で年季奉公をする少年

           5年くらい下働きをすると

           丁稚から職人(一人前)扱いになる

 

   浅草の劇団「笑いの王国」の座付き作家になり、

     以後、「鐘のなる丘」「君の名は」などの

      ラジオドラアで人気劇作家となる。

 

   ミュージカル「マイフェアレディ」を日本初で

     上演したり、作詞家など

        演劇、映画、テレビ、ラジオなどで

            大活躍します。

 

「雲の上団五郎一座」の座長を演じるのは

 「日本の喜劇王」と言われた

    エノケン(榎本健一)です。

 

 

東京生まれで、生来のやんちゃ坊主だったようです。

 

浅草オペラで一世風靡をしますが、

  家族の不幸と借金、病魔で苦労し続けます。

 

映画、演劇では人気者となりますが、

  足の切断など不幸から自殺未遂をしたりしますが

    コメディ演芸に捧げた一生でした。

 

この映画では、右脚切断?の頃なので

  動きのない座った演技ばかりですが

    人の良い座長を堅実に演じています。

 

この映画は、昭和のコメディアンが

  思う存分、自分の芸を披露しているのが

    映画の魅力です。

 

崩れた女役芸人、女形(おやま)を演じたら

  日本一なのは、三木のり平です。

 

 

 慶応大学医学部の博士と、お茶屋の女将の

   妾の子として生まれる。

 

 花柳界で育ったので、小唄などの芸事が

   その後の映画などで大いに生かされます。

 

   (この映画でも、女形が決まっています)

 

 家庭生活を顧みず、酒浸りと博打の

   生活をしますが、笑いを取れる脇役として

     欠かせない存在となります。

 

 日大学生時代に、召集令状が来ないので

   役所へ行くと、本名が則子(ただし)だったため

     女性と間違われていたことがわかって

       遅れて届いた召集令状は

         敗戦の五日前でした。

 

この映画は、名だたるコメディアンの総出演ですが

  一番輝いていたのが、演出家を演じた

     フランキー堺でした。

 

         

士族の家系に生まれ、慶応大学法学部卒です。

 

学生時代から、進駐軍でジャズドラムを演奏し、

  プロで人気ジャズドラマーとなりますが、

    好きだった演劇の世界へ転身します。

 

川島雄三監督「幕末純情伝」、

  BC戦犯級ドラマ「私は貝になりたい」などの

    名演技が有名です。

 

でも、何といっても、私には

 NHKドラマ「遺書配達人(1970年放送)」の

  最後に登場する戦友役が

   最高の演技だと確信しています!

 

  戦争の哀しさ、虚しさを最も描いた

     反戦ドラマの最高傑作です!

 

 

主演は小林桂樹で、各エピソードには

 加賀まりこ、中村翫右衛門、渡辺美佐子

   林美智子などの名優が

    素晴らしい渋い演技をします。

 

NHKよ!再放送してくれ!!!!!!

 

「遺書配達人」を観たい!!!!!

 

 

この映画で、フランキー堺が演じる

  勧進帳の弁慶シーンが

     最高の見せ場であり、

        一番の魅力です。

 

日本映画の名シーンの一つだと思います。

 

花菱アチャコの脳卒中になった芸能事務所の社長の

  迷演技?も見ものです。

 

 

 (TV「シャボン玉ホリデー」でハナ肇も

    脳卒中演技をしています。

 

  現在の放送コードでは、OUTだと思いますが

    昭和のおおらかさが失われていくと同時に

      日本の映画ドラマの活力が

        一気に消滅し、悲惨な現代と

           なってしまいました・・・トホホ。

 

   悲劇を笑いで癒すことが

     できなくなってしまいました・・・嗚呼。

 

   表現の不自由な時代です・・・嗚呼、トホホ)

 

この映画では、三木のり平の相方として

  八波むと志が、手堅い演技で

    笑いを誘っています。

 

 

鹿児島徳之島生まれで、

 母親が4人も変わるという

  極貧の幼少期を過ごします。

 

東京工専卒後、軍隊に志願し

  敗戦後は、浅草で演劇の世界へ。

 

南利明、由利徹と3人で

  「脱線トリオ」を結成し、

     大人気となります。

 

1964年(昭和39)、交通事故で

  37歳の若で亡くなります。

 

長生きすれば、映画ドラマ界の

  名優として名を成したはずです。

 

この映画では、「脱線トリオ」のメンバーとの

  笑いの掛け合いが素敵です。

 

南利明は、エノケンの弟子でしたが

 破門され、軽妙浮薄なキャラで

   人気を博します。

 

 

名古屋弁のギャグを売りして

  CMでも人気者になります。

 

コメディからシリアスな役まで

  何でもこなせる名脇役で活躍します。

 

宮城県石巻出身の由利徹は、

  東北弁を駆使したギャグで人気者になる。

 

 

陸軍の中国戦線で過ごしていたため

  中国語が堪能だったとか・・・。

 

浅草ではなく、新宿ムーランルージュや

 ストリップ劇場出身を生涯誇りにしていた。

 

 (同ストリップ劇場出身の森繁久彌が

   演劇界で重鎮となったが、

     由利は、最後まで、大衆芸人として

       活躍し続けた。

 

 女好きで、性談義の名手だったそうです)

 

高倉健、赤塚不二夫や、

 多くの芸人に慕われ、

  志村けんが弟子入りを願ったが、

     断っている。

 

由利徹は、多くのギャグ言葉を

  生み出している。

 

現代のお笑い芸人、芸風のルーツである。

 

由利徹の言葉

 

 「子供の涙は虹の色。

      喜劇役者の涙は血の色だよ」

 

 「方言を武器にするにはまず標準語を

          きちんと話せないといけない」

 

 「どんな笑いも全てセックスにつながる」

 

 「芸は軽やかにやらねばならず、

           汗をかいてはいけない」

 

この映画では、

 「フーテンの寅さん」のおじさん役の

  森川信の元気な演技を観ることができます。

 

 

小学校卒業後、銀行に勤めながら

  演劇学校へ通います。

 

ドサ周りを経て、実績を積み上げ

  「寅さん」で人気を確立しますが、

     1972年、60歳の若さで

       肝臓がんで亡くなります。

 

目茶苦茶女性にモテて、

 「女に金を使うんじゃなく、

    女が金を使ってくれる方が一流だよ」

 

  (羨ましい!!!

 

   案外、女性にモテたくて

     喜劇役者になった芸人が

        多いはずです・・・たぶん)      

 

芸能事務所の番頭役の茶川一郎も

  コミカルな演技で、笑いのツボを

    押さえています。

 

 

東京生まれで、浅草軽演劇でデビューし

  大阪に拠点を移して、

    劇作家・花登筺の

      舞台で活躍する。

 

個性的な役柄でも

  出しゃばることなく、上品な演技が

    魅力の喜劇役者です。

 

藤田まこと、佐山俊二などの

  喜劇俳優も出ています。

 

この映画の魅力は

 各コメディアンが、自分の持ちネタを

  様々なシーンで披露しています。

 

有名コメディアンの演技を

  堪能できるのが、

    この映画です。

 

昭和コメディアンの集大成の映画です。

    

     

数少ないシーンですが

  存在感がある演技をしてるのが

     清川虹子です。

 

 

川上貞奴の最後の弟子でした。

 

男運が悪かった?ですが、

  女性喜劇役者の代名詞となりました。

 

地元暴力団の、男好きの天真爛漫な

 妾役を演じたのは北川町子です。

 

 

高等女学校時代に、新東宝撮影所へ見学に行き

 そのままスカウトされて芸能界へ入ります。

 

この映画のキャラとはまったく違い、

  真面目で控えめな女性でした。

 

俳優としてあまり売れてなかった児玉清と結婚し、

  会社や多くの人に惜しまれつつ、

     すっぱりと芸能界を引退しました。

 

団五郎一座のライバル、

  女剣劇の座長を演じているのは

    筑波久子です。

 

 

茨城県の大旅館の末っ子娘として生まれ

  日活ニューフェースでデビューし

    慶応大学法学部を中退します。

 

主演した「肉体シリーズ」は、

 日活のドル箱映画となります。

 

健康上の理由、恋と仕事の悩みから

  24歳で渡米し、コロンビア大学語学校へ入学

    後に、アメリカ人と結婚。

 

映画監督を経て、プロデューサーした

 映画「ピラニア」が大ヒットし、

  リメイク映画「殺人魚フライングキラー」では

    無名の駆け出し監督だった

      ジェームズキャメロンを抜擢した。

 

この映画では、若さ弾ける色気を発揮して

  映画にアクセントをつけています。

 

カラー画面の美しさと

  各種の日本芸能のエッセンスを生かした

     喜劇映画となっています。

 

笑いの形式は、一昔前ですが

  当時の地方の観客には、

     新鮮だったと思います。

 

この映画は、日本の昭和喜劇界を

  記録した貴重な作品です。

 

泣かせるよりも、笑わす方が難しいと

  言われています。

 

笑いに人生をかけた芸人たちの

  意気込みが伝わる映画です。

 

是非、ご覧ください。

 

日本映画専門チャンネル

  「蔵出し名画座」で観ました。