父の教員の安月給では、子供6人を育てられないと
始めた小さな母の旅館ではあったが、
儲かっているとは言い難かった。
(ファミヒス41をご覧あれ)
宿泊料が安く、母の手料理が美味しくて、
明るく社交的な母の性格もあり、
気安く泊まれる旅館だったので、
それなりに固定客がついて、繁盛はしていた。
行商人、セールスマン、出張族、長期の建築関係者
そして、両親の出身地の四国の山奥の人達だった。
ある夏の日のことだった。
母が、中学生の私に命令した。
母 「○○(私の名前)!
これを袋に詰めといて」
私はヒマだったので、母を手伝うことにした。
近くの市場で買ってきたスダチを
小さなビニール袋に、詰め込むのだ。
私 「このスダチどうするんじゃ?」
母 「お客さんにあげるんじょ」
私 「あげるんじょって、ただでなんか?」
母 「そうじゃ」
私 「安い宿賃やけん、スダチをあげたら
儲けがなくなんるんじゃないんか?」
母 「ええんじょ。
お客さんが来てくれたけんな。
また来てくれるかもしれんけんな」
確か、素泊まり2000円だったと思う。
スダチの小袋は、300円くらいしたかもしれない。
明らかに赤字で、損をしている。
母は、まったくそんなことは気にせず
今で言う「おもてなし」のサービス精神が
旺盛だった。
また、出張のお客さんには
母 「領収書になんぼにしといたら、ええんじゃ?」
客 「一泊3500円と書いて下さい」
母は、お客さんの言う通りの領収書を書いて、出していた。
(出張費の架空請求というか
立派な背任行為を手伝っていたのだ。)
どう考えても、母の旅館業は、儲かっていなかった。
赤字か、トントンが限界だった。
一度、母に尋ねたことがあった。
私 「お母ちゃん。
家の旅館て、もうかっとんか?」
母 「あんまり儲かっとらんとおもうけんどな」
私 「どこでもうけるんじゃ?」
母 「水物で儲けるんじょ」
私 「水物って、何じゃ?」
母 「ビールや酒なんじょ。
酒で儲けが少しでるけんどなあ・・・」
どうりで、私が、中学、高校と、時々
酒やビールを、酒屋へ買いに行かされたことが多かったのだ。
しかしである。
我家で一番酒を飲んでいたのは
父だった。
母の旅館は、どんぶり勘定だった。
母は、旅館経費の領収書なんか、
揃えて置いておくなんて
絶対にできない性格だった。
父が教員を退職して、
青色申告のために、経理を付けだすまでは
税金をどうやって払っていたのか?
今も謎のままである。