夕方、万博会場を後にして、旅館へ向かった。
母と姉が泊まったという、池田市にある旅館へ向かった。
池田駅からバスに乗り、郊外にある旅館だった。
小さな木賃宿だった。
父 「ひと月ほど前、わしの妻と娘が泊めてもらった旅館と言うので
一晩泊めてもらえんでしょうか?」
女将 「すんまへん。今日はお客さんいっぱいで、泊まれませんねん」
父 「何とかなりませんかな?四国から万博見に来たんですわ」
女将 「無理ですねん。万博でいっぱいなんです」
父は粘ったが、泊まることはできなかった。
父は肩を落として、二人で、またバスに乗り、池田駅へ戻った。
駅前は陽が暮れ、寂しくなっていた。
いくつか旅館を探したが、万博でいっぱいで泊まれなかった。
途方に暮れるかと思ったが、父が言った。
父 「ええか、○○(私の名前)。旅館が見つからん時は、
派出所へ行くんじゃ。お巡りさんに聞くんじゃ。
お巡りさんは何でも知っとるけんな」
父は駅前の交番へ、スタスタと歩き、入っていった。
私も遅れて、一緒に交番へ入った。
父 「すいませんけんど・・・」
若い20代の巡査が出てきた。
巡査 「何ですか?」
父 「実は四国から、万博を見に、息子と来たんですけど、
どこも旅館がいっぱいで泊まれんのですわ」
巡査 「そうでっしゃろう。万博の見物客で旅館は埋まってる
はずですわ」
父 「妻と娘が世話になった旅館を訪ねたけんど、いっぱいで
断られたんですわ。他も探したんですけど、どこも泊まれんで、
息子と困ってるんですわ。」
私と巡査の目があって、我ながら困ったような顔をしてしまった。
父 「夜も遅うなってきたけん、すいませんが、どこか
旅館を紹介してくれませんかな」
巡査 「えっ、そ、それは、無理ですわ。」
父 「そこを何とか、小さい息子も万博疲れで、どこかでゆっくりさせ
たいんですけんど」
巡査と目が再び合って、物乞いするような目をしてしまった。
父 「どんな旅館でもええですけん、どこか教えてください」
巡査 「それはできません」
父 「そこを何とか、ほんまに息子と二人困ってるけんな」
私は、下を向いて固まっていた。
父 「四国から出てきて、困ってるけん、どこかお願いします」
父が頭を下げ、私も遅れて頭をちょこんと下げた。
巡査 「ん~~」
若い巡査は、困った顔をしながら、胸ポケットから、
黒い手帳を取り出した。
巡査 「ほんまはしてはいけないんですが・・・」
巡査は手帳をパラパラとめくりだした。
巡査 「困ったなあ・・・」
父 「お願いします。旅館を教えてください」
巡査 「しかたがないですが・・・
ここの旅館なら・・・・」
父 「どこですか?お願いします」
巡査 「本当はしてはいけないのですが、
ここの旅館なら泊まれるかもしれませんが・・・」
父 「ありがとうございます!」
巡査 「この旅館に電話してください・・・」
父 「ありがとうございます!」
巡査は、手帳から書き写した旅館名と電話番号の
メモを父に手渡した。
巡査 「いいですか、本当はしてはいけないことなんです。
絶対に、交番で紹介されたと言わんといて下さい。
警察をだしてはいけません。いいですね!」
父 「この旅館はどう行ったらええんですか?」
巡査 「すぐそこのアーケード商店街に寿司屋があります。
その角の路地を左に曲がっていって、線路沿いに
しばらく歩いたら、△△旅館があります。」
父 「△△旅館ですね」
巡査 「絶対に交番で紹介されたと言わんといて下さい!」
父 「はい!絶対に、警察のことは言わんけん。
ありがとうございました。
〇〇もお礼を言うんじゃ」
私 「ありがとうございます・・・」
巡査 「絶対に、交番で紹介されたと言うてはいけませんよ」
メモを握りしめた父と、交番を出た。
交番のすぐ前には、公衆電話ボックスがあった。
父は、旅館へ電話をかけた。
父 「もしもし、△△旅館でしょうか・・・・
今、駅前の派出所の巡査さんから
紹介されて電話をしました・・・・・
今晩、大人一人、子供一人で
泊まれますかな・・・・・・・
はい、若い巡査さんが教えてくれたんです・・・
四国から出てきて困ってたんですが、
親切にそちらの旅館を教えてくれたんです・・・
・・・・・はい、大人一人、子供1人です・・・
・・・・じゃあ、お願いします。今から歩いて行きますけん
よろしく願いします・・・・・」
父が電話を置いた。
父 「やっと旅館が見つかった。今から行くけんな」
私 「父ちゃん・・・」
父 「何じゃ?」
私 「警察のこと言うたなあ・・・」
父 「言うた」
私 「お巡りさんとの約束破ったじょ」
父 「ええか、○○。警察に紹介されたと言わんと
どんな旅館か分らんけん、危ないんじゃ。
警察の名前出したら、安心できるけんな。
大阪は、怖いところが多いんじゃ。
それにな、警察は、泥棒とかが
逃げ隠れするけん、いつも旅館とよう知っとるけん
名前出しても大丈夫なんじゃ」
池田駅前のアーケード街を、父と二人で
旅館へ向けて歩き出した。
すでに陽はとっぷりと暮れて、
商店街の飲み屋のネオンサインが光っていた。
そして、向かった旅館が・・・・
つづく
閑話休題
1970年当時、携帯電話はなかった。
街の角々の公衆電話をよく利用していた。
なお、後に、父の手法を、私も利用した。
友人の結婚式で博多へ行ったおり、
招待された仲間で、中洲への飲みに行くことになったが、
全員が博多が初めて。
ボッタくりに会うのが嫌で、
私が博多の交番へ入って行った。
私 「博多が初めてなんですが
安心して飲める店を紹介してください」
たぶん刑事が相手をしてくれた。
刑事 「教えられません」
私 「そこを何とか。明日友達の結婚式で
友人たちがそろったのですが、
全員、博多を知らないのです。
お店を紹介してください。
お願いします。
刑事 「それはできないのですが・・・・」
と言いながら、人差し指で、机をトントンでたたき出した。
机の上には、中洲の地図があった。
刑事のその指先には、1軒の飲み屋の名前があった。
私 「ありがとうございます!」
その晩、私たちは安心して、中洲の夜を楽しめました。
いいお巡りさんばかりでした。)