なんかさ。
デザイナーってなんで必ず作品創るのにかたっくるしい理由がなきゃいけないのかな。
昨日の授業にゲストで来られたNYで勉強+仕事されてた韓国人デザイナーさんにも同じこと言ったら
「僕はそれは違うと思うな」って言われた。
デザイナーが何かを創る時にはその中に「自分」がなきゃいけない、って。
詳しい会話を話し始める前に、ちょっと今進行中の卒業展覧会の情報を。
まあ今の卒業作品は、始めの企画からいろいろと路線が変わってしまって
始めは「日本と韓国の間にいる自分」を表現したくて、
「日本と韓国の文化の違い」についてやろうと思ってたの。
夏からずっとそれで計画してたのに、
2ヶ月前、先生が急に「主題の範囲が広すぎる」とか言ってきて
「日本と韓国のタイポグラフィの違い」についてやったら?とか言われたの。
論文かよ
って思ったけど
先生自ら本を貸してくれたり超積極的だったので計画はしてみたけれど
それでも私には主に過ぎる主題だったので
先生が勧めてくれた本でおもしろいなって思った「文字絵」にしようと思ったの。
文字絵は詩とかに絵を加えたり、または字自体を絵にしちゃったりするんだけど(これは文字絵の中でも葦手と呼ばれます)
おもしろいな、って思って、普段から好きだった宮沢賢治の「雨ニモマケズを文字絵化」することに。
でもそれが先週、元々の先生が体調不良で、代打で来た先学期の先生に超叩かれて
「全然かっこよくなさそう」とかまで言われて
それでかなりヘコんで、違うものでやってみたけれども
やっぱり考察してた時間も断然少ないし、諦めきれないなって思って
文字絵の要素を少なめにして、超ラフ画な状態の「雨ニモマケズ」を持っていったの。
そしたら先生は気に入って、特に「雨ニモマケズ」が好きらしくて。
でもやっぱり日本語じゃなくて韓国語で作ってほしいっていわれて
てめーそれ私が先月これにするって言った時聞いたら
「とりあえず勝手にやってみろ」って言ってたくせに
今になって言い換えるんじゃねーよ
って思ったけどまあ初めて手応えのある評価もらったからいいか!って思ってたら
「でもだんだん中心が詩になってね?どうしよ」って思って
ゲストの先生にこう聞いたの。
「作品を作るとき、『主題意識』というものがよく理解できないんですが、この詩が好きだから、という理由では不十分なんですか?」って。
そしたら、上に書いた答えをもらったわけ。
「どうしてこの詩でなければいけないのか。どうしてこの作品を作るのか。何を伝えたいのか。『どうして』を答えられるべきだ」って。
でも私はそうとは思わないんだよね。
別にいいじゃん、「これが作りたかったから」が理由でも。それを自分で創ったところに十分「自分」は入っていると思うけど。
もちろんそれ以上に意味はあるだろうけど、どうしてそれをぺちゃぺちゃ説明しなきゃいけないの?って感じ。
多分、私のまわりには自分勝手な友達が多いから、影響を受けたんだと思う。
自分勝手っていうのは、もちろん作品に置いて。
『理解できないんだったら理解しなくてもいい、これは私の作品なんです』
っていう考えの友達が多い。
それに、私もそれの方が道理がかなってると思う。
まだ自分の中で答えは出せないけど、
卒展まで2週間、精一杯ぶつかって、自分なりの答えを出そうと思う。
怖がっちゃダメ。
友達が、すごく良い事を言ってくれた。
「これは、時間の限界との戦いであって、みんの限界との戦いじゃない。だから、自分の限界なんか感じないで」って。
すっごくありがたかった。
申し訳ないくらいにありがたかった。
だめだね、私いつまでも友達たちに心配ばかりかけすぎ。
がんばれる。
ちゃんと完成できる。
きっと大丈夫。
自分を信じよう。