Sweet Life~姉妹育児2014&2017生まれ~ -32ページ目

Sweet Life~姉妹育児2014&2017生まれ~

2014年&2017年生まれの姉妹を育て中。パンやスイーツ作りが好きです。子供たちの学費のため家計管理も頑張り中です。


退院してから、お風呂で洗髪したり
ドライヤーをする際にこすると、
左上後頭部が痛いというので、
今日は救命救急センターから退院してから
一度、結果報告と頭部画像を
持って行かなければならなかったのもあり、
長女と一緒に総合病院を受診しました。

自宅から救急搬送で
この総合病院に運ばれ
この総合病院が
救命救急医療センターに
搬送してくれた病院です。


その時と同じ先生が
今日診てくださり、
本当に良かったね。と。。
画像をみても、
驚くほど綺麗に元に戻ってる。と。


救命救急センターの
適切な治療が良かったのか、
本人の治癒力がそうしたのかは
今となっては分かりませんが、
運ばれて来た時の画像や
症状からして、
大変な状態ではあったけど
驚くほどの回復ですよ。と。


救命救急センターでは
とりあえず、後遺症も無いことから
複雑型熱性けいれん。
という方向になったけれど、
最後までグレーな感じだった事を伝えると、


こちらの医師は、
本当に長女ちゃんの場合は
ボーダーにいて、
やっぱり医師の中でも
見解は様々なんですよ。と。

僕、個人的な見解としては
急性脳症の超軽度かな。。
急性脳症の1/3は
後遺症を発症しない超軽度の
子たちがいるんです。
こんな言い方はあれなんだけど
すごく運が良かった。。
長女ちゃんの場合は
1/3の方の脳症だと個人的には思いますね。と。

熱性けいれんでも
脳は腫れるのか聞いたら、
あんな風には腫れない。
でも、複雑型なら腫れるかな。
という事でした。

どちらにしろ、これからは
熱を出さない事が大切です。と。


初日に撮影した脳の画像も
膨れているんだけど、
かろうじて、
枝分かれしている線(名前忘れました)とか
はっきり残っいるんです。
このまま腫れが進めば
パンパンになり、
後遺症などが残っただろうと。

早急な処置により
翌日には元に戻ったわけで。。


先生は念のため
1年間、経過観察、
フォローしていきますよ。
今は全然普通ですけど、
やっぱり、不安や心配でしょ?と。。と。


2-3ヵ月に1度、みせにきてください。
その中で、CTや発達や
知能のチェックもしていきます。と
おっしゃってくださり、10月に
予約取ってくださいました。

ありがたい。。。

改めて、今、目の前で
長女が元気に次女と
ふざけているのを見て
やっぱり、こういう風景が見れない可能性もあった事に胸が詰まる思いになりました。


後頭部の痛みは、あれだけの事があり
治療もしたので、
神経痛が出てるのかもね。との事でした。

とりあえず、
これからも定期的に診てくれる事で
私も安心しました。




救急搬送から7日目

今日退院の可能性も出てきたため、
長女の服を準備して、
朝、特急に乗り、
いつもの様に病院へ向かいました。

部屋に入ると
昨日より活気を感じた長女に
一安心でした。

医師が来て、今日の退院は
見送りになったと聞きました。
しっかり放射線医の診断を待ってからの
退院がベストなため、
月曜日の明日に退院できるか
決まるという旨でした。

少し安心しました。

ギターや、いっぱい、という
普段から使っていた単語の意味を
忘れている事が気になり、
7日目の今日はしりとり遊びや、
クイズをしながら、
長女が倒れる前の単語力と
倒れた後の単語力を
確認する事にしました。

それらは、特に変わった感じもなく、
混乱から来た単語忘れだったのかな?と
そう信じたい気持ちでいっぱいでした。


トイレに立つもフラフラ感は無くなり
私も今日の感じを見て初めて
明日なら退院しても安心かも。
という気持ちになれました。

昨日の時点では
トイレに立つのもフラフラで
後ろに倒れそうな長女を支えながら
トイレへ連れていき、
足もびっこを引いている感じでしたので、
とてもじゃないけれど、
あの状態で退院、
自宅療養は不安でした。



ビーグル犬しっぽビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬あたま


救急搬送から8日目

病院で付き添っている主人から
今日、退院する旨のメールが朝届きました。

すぐさま、病院へ駆けつけました。

医師から説明がありました。
放射線医に診てもらった結果も
脳に異常は無かったことで
本日退院となります。

初日に腫れていた脳が翌日に元に戻ったこと。
髄液検査でもウィルスがいなかったこと。
脳波にも問題がなく、
白血球など血液数値も落ち着いているのを
総体的にみて、今のところ
複雑型熱性痙攣で良いのでは?という
見解になっています。

ただ、複雑型熱性痙攣には
今後、数年後に
てんかんなどに移行する人も
一定人数いますので、
熱が無いときに痙攣したなどあれば
その時はまた近くの病院でも構わないので
フォローしてもらってください。

と、伝えられました。

痙攣予防薬として、
ダイアップ坐薬をもらいました。


自宅から救急車で
総合病院に搬送され、
そこから、更に高度治療のため
ここの高度救命救急センターに
救急搬送されたため、
今回の一連の検査報告書を
総合病院に渡すように言われました。
(次に痙攣が起きて
総合病院に搬送されても情報を
共有しておけば安心とのこと。)

次に痙攣が起きたら、
複雑型と救急隊に伝え
救急車を呼ぶこと。
(痙攣止め薬無しには
治まりにくいため自宅で様子見は危険。)

との内容でした。

先生方、看護師さん方にお礼を言い
お会計を済ませ、3人で
タクシーで帰宅しました。

長女は1週間ぶりの我が家。
次女も久しぶりに見る長女に興奮。
ばあばも安堵していました。



ビーグル犬しっぽビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬からだビーグル犬あたま



本当に命が削られる思いをした1週間でした。
最初はこのまま脳の膨らみが進めば
命が危ないという話から、
長女は後遺症が残る可能性が高い。
とまで断言され、
長女の長い未来を
嘆かずにはいられませんでした。

私達、親が生きている間は良いけれど、
私達がいなくなったら?
次女には次女の人生がある。
弱く最低な母親かもしれませんが
いっそ、私が年老いて
長女の面倒を看れなくなる時は
一緒に。。とすらも考えてしまいました。

主人も病院や
たまに帰宅した自室で
泣いていました。

ただ、状況は好転を繰り返し
今のところは
複雑型熱性痙攣に落ち着いたわけで
裏に隠れがちな脳症を
想定して治療にあたってくださった
先生方には心から感謝しました。

最後の最後、退院日まで診断も
ハッキリとしなかったため、
常に後遺症やその他の事が
頭から離れなかったですし、
数年後にてんかん発症の可能性も
無きにしもあらず。。を考えると、
(私の弟が9ヵ月で風邪から髄膜炎になり、
てんかん発症しているため、
どんな感じの生活になっていくか想像しやすい。)、不安ではあります。

今回、元気ピンピンだった長女が
突然の意識障害やら人工呼吸やらで
脳症を疑われ、
死や後遺症というワードが
突然目の前に現れ
私の当たり前だった日常が
一瞬で崩壊し、
長女が倒れる前の日々に戻りたい。。と
どれだけ願ったか。。

当たり前の日常、
いつもと同じ日々なんて
音も立てずに突然ガラリと姿を変えてしまう。


だから、
どんな形でもいいから、
一緒に生きている今を
すごく貴重に思うようになりました。

前は、
長女がママ大好きって言ったあと、
長女がなんでー!!って
焼きもち焼くのを見るのが好きで、
ママは長女が好きじゃな~い。
というやり取りをする事があったけど、
(最後には好きに決まってるじゃ~ん。
と言って遊んでいましたが、)
もう絶対に嘘でも言わないし、
言おうとしても、胸が苦しくなり
もう言えなくなってしまった程
いま、この子達と一緒に生きていれる事が
当たり前ではないこと、
次の瞬間にはガラリと変わってしまう事があることが頭にチラつき
子供たちと過ごす今を1つ1つ穏やかに過ごそうと思うようになりました。



熱が怖いです。
脳症が怖いです。。。

全然自分には遠い存在であった
脳症というものは
冬に大流行するインフルエンザや
私達家族全員患ったRSウイルスなどでも
脳症を引き起こし、
小さな子供たちの未来を簡単に奪っていく。
それは、またいつ自分の子供たちに
降りかかってくるかはわからない。

大切な大切な我が子の未来を
奪われるお母さんの気持ち
家族の気持ち、
おこがましいかもしれないけれど、
その気持ちに少し触れた気がしました。

そして、医療の研究、発展と共に
1人でも多くの子供たちが助かるように、
少しでも軽く済むように、
身を引き裂かれる様な思いをする
お母さんお父さんが1人でも減る事を
心から願い医療研究機関に
ワンコインしか出来ないけれど、
毎月募金していこうと決めました。

小児集中治療室ですれ違う
様々な病気と闘い
頑張っていた子供たちと
親御さんたち、
おじいちゃん、おばあちゃんたち、
きっと、その時、
背負っていた願いや痛みは
似ているのかもしれません。

脳症じゃなかったのかも、良かった。。
だけじゃ終われないほど、
いま、思い返しても
まだ涙が出てしまうくらい
私の心に大きな爪痕を残した出来事でした。


緊急搬送から退院までの話は
ここまでです。

今後はフォローしてくれる
総合病院の通院など、
行った時にまた備忘録として
書いていこうと思います。

長かった1週間の出来事を
読んでくださりありがとうございました。









長女がMRIを受けるのに
鎮静剤が必要だったので
再び点滴をさすことになりました。

手の甲にさされるようで、
普通は看護師二人がかりで
泣き嫌がる子供に点滴をするところ
長女はじっと耐えていたようです。

拒絶するわけでもなく、
暴れるわけでもなく、
ただ、一筋の涙を無言で流し
頑張ったみたいで、
看護師さんに私が褒められました。

本当は怖かったし、
痛かったよね、
これでもう痛いことは無いよ。と
励ましました。

そして長女はベッドごと
MRI室へ向かいました。


とっくにお昼を過ぎた時間の
14時間でしたが
この間に私は軽く昼食を
家族ルームで摂りました。

ちょうど食べ終わった頃
長女のMRIが終わり戻ったことを告げられ
再び部屋に入りました。

長女は眠くなる薬から覚めていました。

そこへ小児集中治療室の先生が来て
画像を見せながら
報告をしてくださいました。

MRIの結果、
小児科医として見た場合ではあるが、
どこか異常がある箇所は見当たらない。

週明け2日後に放射線科医に診てもらうが、
(この日は土曜日)
明日、日曜日にでも退院して大丈夫でしょう。という言葉に驚愕しました。

一昨日まで、人工呼吸で
意識なく、今もヨロヨロ歩いているのに
明日退院??!!

私の頭は混乱していました。

長女は痙攣重責 急性脳症の疑いで
治療を受けているわけで、
日をあけて2回目の痙攣が来れば
後遺症の心配も出てくるのに、
退院してしまい大丈夫なのか?

退院したら、
聞きたいことも聞けなくなるので
今のうちに聞きました。

今後、予防接種や他の病気をしたとき等、
過去の病歴を書くことが出てくると思うのですが、痙攣重責 急性脳症で良いのでしょうか?

すると、医師は困った様に言いました。

それがね、なんとも言えないんですよね。
乳幼児の痙攣ってのは、
割りと頻繁に起こるものですが、
熱による痙攣が大半を占めます。
それが熱性痙攣なのですが、
熱性痙攣は単純型と複雑型があり、
2-3分で痙攣が治まり、
その1度だけで繰り返さないものを
単純型と言い、
熱性痙攣のほとんどが
単純型で心配のいらない痙攣です。

長女ちゃんの場合は、
痙攣が何度も続き、継続時間も長かった。
CT画像でも脳の浮腫が見られ
嘔吐もあり、
そして、受け応えが出来るときと
出来ない時があるといった意識障害もあり、
明らかに単純型ではなく、
1日に何度も繰り返す
複雑型で痙攣重責の症状が出ていました。
複雑型は熱性痙攣の1-2割で起こります。

ただ、この複雑型や痙攣重責には
脳症という病気が
裏に隠れている可能性があるため、
医師としては、まず、
急性脳症を疑い、
急性脳症の為の治療と検査をし
急性脳症を否定できて初めて
熱性痙攣 複雑型、
または痙攣重責という診断ができるんです。

では、長女は脳症ではないんですか?

そこは、今もグレーなんです。
例えば、近い未来に2度目の痙攣が起こり
後遺症が残れば、それは脳症になるし、
例えば、今、何にも違和感が無いけれど、
とても細かい部分で、
前に出来た事が出来なくなっていた。と
日常生活の中で気づく事があるかもしれない、
後遺症は軽度から重度まであるので、
そうすると、脳症の軽度だったんだ。と
評価が変わってきます。

だから、熱性痙攣複雑型なのか、
脳症なのか、と言われたら、
今の時点ではグレー。

なるほど。。
スッキリはしませんが、
これからも経過観察は必要という事でした。

確かに少し不安要素はありました。
大好きだったギターのおもちゃで遊ぼうね。と言ったら、
ギターってなに?とか、

おうち帰ったら、
いっぱいご飯食べようね。
と言ったら、
いっぱいってなに?

当たり前に使っていた単語を
聞いてきたことに、
主人と私はぎょっとしました。

これも、ただ単に意識ない日が長かった為に
混乱して忘れているのか、
脳症の後遺症なのかは
今はやはり分からない。
結局はそういう事なんだと思います。


先生は、小児集中治療室で
治療するものは今の時点で無いので
おうちに帰るのが心配なら
一般病棟に移る形もとれると。

それはごもっともでした。
集中治療を必要としている子供たちの為に
様態が安定した長女は
集中治療室を空けるべきなので、
一般病棟に移る希望をすると、
小児一般病棟は24時間付き添いだそうで、
まだ小さな次女がいる我が家には
厳しい条件でした。
(感染予防のため子供は入室禁止)


14時過ぎまで何も食べていない長女は
お腹がすきすぎて
夕飯の催促が凄かったです。

今まで流動食を鼻から管で通していて
本人も意識無いときでしたし、
人工呼吸外れてからも、
暴れると危ないので、
すぐに鎮静剤で眠らされていたので、
救急搬送されて6日目の夕飯が
初めての食事になります。

夕飯が運ばれてきて
とても嬉しそうでした。
誤嚥しないように私が介助しましたが
途中から自分で箸を持ち
食べ始めました。

か細い声で
おいしいね。と
今にも消えてしまいそうな声で
発した長女のその言葉に
何とも言えない気持ちになりました。

私が、うん、そうだね。と応えると
ママは食べないの?と聞かれたので
これは子供の食事だから食べられないんだ。って伝えると、
私が介助していたスプーンを
突然長女が取り上げ、
スプーンにご飯を乗せて、
私の口もとに持ってきました。

痛いこといっぱい我慢して
ママが夜は居れない事も我慢して
6日も食べずでお腹すいているのに、
自分の分を分け与えてくれる
どこまでも優しい長女に
胸が熱くなりました。

大丈夫、ママは後で食べるから。。と伝え
長女にはたくさん食べてもらいました。

そして、主人と交代で
私は家路につきました。




2回目の痙攣が数日中に起これば
長女がどうなってしまうか
分からないという恐怖から
夜は2時AMから一睡もできないまま
6日目の朝を迎えました。

その間も主人はずっと病院に泊まり込み
私は母に次女を託していたため
特急を乗り継ぎ毎日通いの日々でした。

泊まり込みでヘルプに来てくれている母に
次の痙攣が数日中に来てしまったら
知能にダメージが来るか身体に来るのか
両者に来るのかは分からないけど
来てしまったら、
もう前の長女どの様には
戻れない可能性もあることを母に伝え、
この日はできるだけ早く
病院へ一緒に向かいました。

両親は24時間面会可能でしたが
祖父母は14時から可能でしたので
主人と交代して仮眠をとってもらい
14時までは私のみ長女に付き添いました。

人工呼吸を取ったばかりの昨日は
まだまだぼーっとしていましたが、
一夜あけたこの日は、
長女からは少しだけ気力を感じました。

ベッドに座り込んでいた長女が
私が来たことに気づき
看護師さんもママ来たね!と言うと
突然涙目になりました。

どうしたの?大丈夫?と声をかけても
堪えているかのように
うなずくだけでした。

看護師さんは
ママに会いたくて我慢していたもんね。と。

私は一番に娘の傍に座り
目を見て、よく頑張ったね、
どこか痛いところある?と
聞いたら首を振ったので
痛いところが無いことに安堵しました。

看護師さんから
お母さんもベッドに腰掛けてもいいですよ、
と言われたので
椅子からベッドに移動したら
長女がすり寄ってきたので
抱き締めてあげました。

そして、
言ってもらいました。
とってもとっても小さな声で
かすれた声でゆっくりでしたが

長女はママのことが
世界で一番
だいだいだいだいだ~いすきだもん

私も同じことを送り返したら
少し笑ってくれました。

そして
私の膝に頭を乗せたので、
膝枕のまま、ずっとずっと
頭をなぜてあげていたら、
長女はそのまま眠ってしまいました。

眠っている1時間半もの間も
ずっと撫でていました。

撫でながら思い返していました。

次女が生まれてから
こんなに強く長女を想い
目を覚ましてくれた事に涙し
一言一言発する長女の言葉に
耳を傾けたことは無かった。


長女がしつこく私に話しかけてくれば、
自分に余裕が無いと、
うるさいな、ちょっと待っててよ!とか、
これ、やってって言ったでしょ?
なんでできないの?
と言っていた。

酷いときには、軽い気持ちで
おでこをペンとつついた事もあった。


まだ夏休みが始まったばかりなのに
夏休みが終われば
週1なのに、
またお弁当作りだ。。と
嫌になる事もありました。
当たり前にその日が来ると思っていたから。

もう2度と長女に幼稚園のお弁当を
作ってあげることは
できないのかもしれないという
可能性が出てきて初めて、
お願い、、またお弁当を作らせて。。と
切望する自分に情けなさが込み上げました。

園バスから降りてから
美味しかったから全部食べれたよ!という
長女との会話が頭から離れませんでした。


私は間違っていたんだ。。
子供たちに対する接し方、
間違っていた。。と
長女の頭を撫でながら、
また涙が溢れてきました。

長女が目を覚まし
少し話ができました。

眠る前よりも、若干
しっかりした声になっていました。

今日はママと一緒に寝れる?と
弱々しい声で聞いてきました。

おうちにかえったら、
一緒に寝れることを話したら、
また悲しいし顔になりました。

鼻からのチューブや
太もも付け根からのカテーテルは
取られていて
心電図や酸素濃度を測るラインだけが
長女についている状態でした。


そして、この日はMRIの検査が
入っていました。

MRIに入る前に祖母とも無事に会え
長女は嬉しそうで
私の母も嬉しそうで
二人を今日、会わせられて
本当に良かったと思いました。


長女は私の全てでした。

そんなこと、
今になって痛感します。

いつも私が色々手助けしたり
世話がやくな~なんて
思っていたのに、
精神的に家族の誰よりも
主人よりも、
私は長女が心の支えだったようです。


救急搬送から5日目の金曜日、
長女から人工呼吸が外されました。

容態が安定してきたためです。

始めはぼーっとしていましたが
次第に、かすれた小さな声ですが
自分の名前、年齢を言えました。

酸素マスクを、ツルツルして嫌だと
かすれかすれの声で言いましたが、
大切なものだから取らないように
お願いしました。

私はずっと長女の手を握り
エコノミー症候群にならないように
ふくらはぎをマッサージしました。

私は長女の耳元で
「ママは長女が世界で一番大好きだよ❤️」
と言いました。

うんうん。と
長女はうなずいていました。


このまま順調にいけば、
何事もなく前の様に戻れる気しか
しませんでした。

みんな、このまま通常に回復するとしか
信じていませんでした。

そうであってほしい。


でも私は家に戻り、
長女の疑われる病名
痙攣重責急性脳症を検索すると、
更にそこからまた分類けされるようですが、
今の時点では、わからない。
それが起こって初めて確定されるような事を
医師もおっしゃっていました。

発熱から数日は本人の意識レベルも
まるで元の様に戻り
画像にも問題は出ないのだそうです。

ただ、1度目の痙攣から3-6後に
2度目の痙攣が起こりやすいと。
それは点滴で薬を流して抑えていても
起こる時は起こるとも
医師はおっしゃっていました。


この2度目の痙攣こそが
脳に大きくダメージを与え
後遺症を残すレベルか否か。の
判断になるようです。

ということは、
次に痙攣が来たら、
もう今の、これまでの長女ではなくなってしまうということ?


そんな残酷なことが起こるのか?


ここ数日は脳の腫れが引いた事で
気持ちが軽かったのですが
また地の底へ突き落とされた思いでした。

後遺症がどの程度にもよりますが、
次の発作まで
もう時間は長くないかもしれない。
1回目の発作から翌日には6日目です。
もちろん、その病気としての痙攣が
来なければそれが一番良い。
でも、それは誰にもわからない。


長女がまだ普通のままの今、
私は母として長女と
できるだけ長く
一緒にいてあげなきゃいけない。

長女は病院で付き添っている主人が
席をはずして戻ると泣いていたそうです。

だれも見えなかったから。と。。

ママはどこ?と聞かれたらしく
ママは隣の部屋で疲れたから寝てるよ。と
帰宅したことは隠しました。

長女は
なんで疲れたの?と聞いたそうです。
長女が寝ているときに
お世話していたからだよ。と
伝えると納得したようでした。


いつ来るかわからない次の痙攣前に
今までは次女を
家でみてくれていた母(長女からみたら祖母)も
明日は病院へ連れていこう。と思いました。

私が今まで母としてやって来れたのは
長女がいたから。。
長女が横からあーじゃん、こーじゃん、
口うるさく私に言いながら、
ここまで笑ったり怒ったりしながらやってこれた日々。。

またそんな日々に戻りたい。。

どうか、私の長女を助けてください。。

再び涙を流しながら
6日目の朝を迎えました。