来春には、県外へ行くことが決まった我が子が、月に何回か、親子の時間を企画するようになった。 

どうやら、未だ、子離れをしていない母を案じてのこと、らしい。


我が子は、末っ子で、何よりも自由を愛する私の背中ではなく、同じ末っ子でも、幼い頃から苦労して育った、働き者の夫の背中を選んでくれた。


自立とは、何て、尊い響きだろう。

カッコいいなあ。母は、素直に、そう思う。



そして、再び。私は、東京を訪れた。


目的は、蘭奢待。

上野の森美術館で開催された「正倉院 THE SHOW」だった。



「東大寺」の文字を、蘭奢待に隠した人は、とてもファンキーというか、何というか、なかなかのセンスの持ち主だと思う。


「天下第一の名香」

正倉院宝物の中でも、蘭奢待は、特別な香木だ。

足利義満、足利義教、足利義政や、織田信長など、蘭奢待を切り取った人は、数えるほどしかいない。


↑私は、そのように学んだけれど、物知りなウィキペディアによれば、調査の結果、50回位は切り取られている、と判明したらしい。

そうか。そうだったのか。そんなに、切り取られていたんだな、蘭奢待。


まあ、とにかく。


一大プロジェクトにより、蘭奢待の「脱落片」の成分分析が行われ、その分析結果に、調香師の方の研ぎ澄まされた感覚が合わさることで、歴史上初めて、蘭奢待の香りが蘇った、そうだ。


「経験したことのない独特の香り」

私達も、その香りを楽しめる、のだ。

素晴らしい。行こうではないか、我が子よ。



平日なのに、思ったより、美術館は混んでいた。

「東京はスゴいねー」と、話しながら、列に並んだ。

今回の展示は、来場者が10万人を超えた、そうだ。


聖武天皇と光明皇后の物語を背景に、宝物のレプリカが展示されていて、私達は、THE奈良時代を満喫しながら、グルグルと回った。


意外と、シンプルに、蘭奢待は現れた。

センターに、蘭奢待(レプリカ)で、四方には、ガラスの容器が並んでいた。


説明によれば、香料が入ったガラスの容器が、漏斗のような蓋に覆われていて、その蓋を持ち上げると、蓋の中に充満された香りが楽しめる、という仕組みだった。


では、早速。



甘い香りがした。

バニラのような、でも、それ程、濃くないというか、薄くもないというか、とても、良い香り、だった。


我が子は、「杏仁豆腐のような香り」と言った。

うん、確かに。それも、近いような気がする。甘くて、美味しそうな香り、だ。


他の皆さんが、一度、香りを楽しむと、すぐに次の展示へ向かう中、私達は、香りを楽しんでは、蘭奢待を覗き込んだり、また香りを楽しんでは、壁面の文章を読んだり、というように、ゆっくり過ごした。


私達は、蘭奢待の甘い香りに、すっかり吸い寄せられていた。

「まるで、蝶々みたいだ」

いつもの大きな独り言の後に、私は、急に、釜山のLiveの推しを思い出した。



釜山のLiveでは、「Butterfly」を、ボーカルの4人で歌った。


他のメンバーに比べて、待機時間が長い、というか、まあ、はっきり言ってしまえば、それ程出番が多くなかった推しは、ステージの上を舞う蝶々を、目で追っていた。


あの時の推しは、カッコよかった。



今、改めて、「Butterfly」の歌詞を読むと、痛みのような、儚い世界だ。


もう、あの頃には戻れない。時は、過ぎ去るのだ。

新規の私が知った時には、既に推しは、世界のスーパースターだった。



ここからは、余談を少し。


「正倉院 THE SHOW」の後、私達は、銀座の伊東屋本店へ向かった。

「ホーム」をご覧いただいた皆さんならば、ピンと来たはず。そう、銀座と言えば、推しが訪れたDiorだ。


私は、ワクワクしながら歩いた。


それなのに。

いつの間にか、伊東屋本店に着いていた。

何故だ。何故、見逃してしまったのだ。


「あのさー、推しのDiorが無かったんだけど」

「あー、ジミンちゃんは、忙しいんじゃない」


スケジュール帳のリフィルやら、万年筆やら、インクやら、欲しいものがたくさんある我が子は、私の嘆きなど気にせず、適当に答えて、店内へ入った。


推しは忙しい、か。うーむ。なるほど。

まあ、そうかもな。人生は、一期一会だ。

もし、縁があれば。また、きっと。


買い物を終えた我が子は、もちろん、振り返ることなく、次の目的地へ向かった。若者は、忙しいのだ。



いつも、長くて、すみません。


ご覧いただき、ありがとうございました。


以上です。