ひゃー、すみませんでした。

先程、前回のブログを見直した所、推敲前の文章が、下の方に、チョロチョロと残っていました。

恥ずかしい。何たる不覚。ぎゃー。止めてー。


はい。消して、スッキリ、サッパリ。

せっかくなので、少し書こうと思います。


YouTubeで総裁選の解説を聞きながら、手仕事をしていると、今回の結果に繋がる、ある言葉が耳に入ってきた。


「干天の慈雨」


あー、なるほど。そうだよな。確かに、そうだ。どれだけ、ありがたかったのか。「支える」「支えられる」とは、こういうことか。


一応、念のため。


私は、「政治として見る選挙」ではなく、「人間ドラマとして見る選挙」が、好きだ。


例えば、経世会の攻防、竹下派七奉行、分裂へ。

どなたか、映画にしてくれないだろうか。めちゃくちゃ面白いのに。でも、今の政治家の皆さんは、あの世代の御子息やお孫さんが多いから、難しいだろうけれど。


選挙を、そんな感じで見るようになったのは、趣味で将棋を指し、歴史が大好きだった、亡くなった父の影響だ。


父は、中卒だった。

高校に行きたくても、行けなかったのだ。

地方の農家の三男。祖父は、父がどんなにお願いしても、進学を許さなかった。それだけ、貧しかったのだ。


父は、東京が本社の大きな工場で働き始めて、定年まで勤め上げた。

工場長には、なれなかった。父は、中卒だったから。

それでも、父は、会社の規則上、中卒では最高の〇〇という役職で働いていた。


休みの日になると、父は、会社から持ち帰った、青い図面を広げて、ずっと思案していた。


数学も物理も、勉強が大好きだった、そうだ。

農作業で忙しく、繁忙期には、中学校を休むことも多かったけれど、それでも、学年でも上の成績で、なのに、自分より下の成績の皆が、高校に行くことが、羨ましくて、羨ましくて、たまらなかった、そうだ。


幼い私は、父の話を聞くことが大好きで、父が晩酌を始めると、隣に座った。


当時は、二級酒と言って、安い日本酒があった。瓶を持ち上げてから、ポンッと蓋を開けて、ガラスのコップに、トクトクトクと注いでから、カーッと飲み干す父は、めちゃくちゃカッコよかった。


父は、娘の私が言うのも変だけれど、物知りで、色々なことを話してくれた。私の拙い質問にも、きちんと分かりやすく、答えてくれた。


父より、ひと回り下の叔父は、高校に進学した。

反対する祖父を、「自分が学費を出すから」と、父が説得したからだ。


自分の叶わなかった夢を、弟に託したのだと思う。


ちなみに、叔父は、高校を卒業して、更に上の学校に行き、今は士業をしている。叔父も、頑張ったのだ。


父の葬儀で、少し時間があったから、父の思い出話にでもなれば、と、叔父と叔母達に話してみると、思いがけない返答だった。


「えー、俺は知らなかった。初耳だよ。あの時、中学出たら、働くつもりだったのに、突然、兄貴が高校に行けって言うから、急いで受験勉強したんだよ。俺はそんなに頭良くないのに。そうか。そうだったのか。兄貴が、行かせてくれたんだな」


「うん。自分は、お金がなくて、高校に行けなかったから、せめて、叔父ちゃんだけでも、行かせてあげたかったって」



推しが、Diorのショーへ参加することは、ギリギリまで、私達ARMYには知らされなかった。


前日の出国。

さすがのARMYでも、前回の熱狂を上回ることは難しいのではないか、と私は思った。


Xでは、「紫の風船は他の人の応援なので、これから、推しの黄色で、風船を作ります」など、会場に駆けつけたARMYが、必死に準備を進めている様子が伝わってきた。


ありがたかった。胸が熱くなった。


今回のDiorのショーへの参加が、グローバルアンバサダーだから、という意味だけではないことを、会場のARMYが一番理解していた、と思う。


車の中で、推しは、5分程、待機していたらしい。


車から降りた瞬間、推しは、ARMYの大歓声に包まれた。さすがは、ARMY。素晴らしい。


圧巻だったのは、やはり、推しが1人でARMYに挨拶をした、あのシーンだろう。

青空。白い階段。美しい推しの所作。耳を塞ぐ程の大歓声。まるで、JIMINのために用意された、ステージのようだった。


あの日、きっと、推しの心にも、ARMYからの「干天の慈雨」が、届いたのではないだろうか。



少しのつもりが、長くなりました。すみません。

あと、鬼滅の刃にも、「干天の慈雨」がありましたね。

映画、私、号泣しました。宜しければ、是非。


ご覧いただき、ありがとうございました。


以上です。