またまた、長文になってしまいました。すみません。
宜しければ、お時間のある時に、どうぞ。
「配慮しろ」
始まりは、配慮だった。
配慮とは、何て、素敵な響き、なのだろう。
仕事だから。百も承知だ。もちろんだ。
それでも。
祖父母や両親、学校の先生から、「我儘を言ってはいけませんよ」と教わった昭和は、一体どこに行ったのだろう。
私は、悲しくなってしまった。
仕事が終わり、迎えに来てくれた我が子の前でも、私は沈んだまま、だった。
せっかく、我が子が、話を聞いてくれようとしているのに、何となく、話せる気分ではなかった。
「このままでは、いけない」
元気にならなくては、と思い、家に帰ると、すぐに、YouTubeで、ミッシェルガンエレファント(英語でなくて、すみません)の映像を探した。
チバさんが、「俺達が 日本の ザ ミッシェルガンエレファントだ」と叫んだ伝説のLive。
FUJI ROCK FESTIVAL '98だ。本当に、本当に、めちゃくちゃカッコいいミッシェル。何度見たか、もう分からない位、大好きなミッシェル。
24分41秒の映像。やはり、ミッシェルは最高だった。
それなのに。
私は、また悲しくなってしまった。
こんなに、カッコいいのに。
もう、チバさんも、アベさんも、この世にはいないのだ。
KISSのエースも、だ。
KISSは、高校生で亡くなってしまった長兄と、今の私を繋いでくれる、数少ない、大切な記憶だ。
私より、ひと回り上の兄達は、KISSが大好きだった。
KISSの日本公演を、幼い私も、兄達と一緒に、テレビで見た。1977年。ヤングミュージックショー。
とにかく、カッコよかった。そして、何よりも、太陽のように明るい長兄が、私は大好きだった。
「とりあえず、何か食べよう」
どんどん、ネガティブになっていく自分を止めなくては、と思い、キッチンに向かった。
夫からは、先に食べてとLINEがあったし、我が子は、お腹が空いていない、そうだ。
ならば、塩サバを焼いて、後は、冷蔵庫にある作り置きで簡単に。
塩サバを焼き始めて、いざ、炊飯器を開けると、微妙な量のご飯しか、残っていなかった。
2人分は、ある。3人分は、うーん。我が家は、全員、塩サバが大好物だ。ご飯は、山盛りにしたい。
私は、2人に遠慮して、いや、正直に言えば、もう面倒で、私の休日の相棒、マルちゃんの塩ラーメンを作ることにした。
皆さんがお察しの通り。
マルちゃんの塩ラーメンは、とても美味しいけれど、相手が塩サバでは、なかなか難しいものがあった。
塩サバには、ご飯だった。間違いない。
洗い物を終えると、ちょうど、夫が帰って来た。
私の顔を見て、夫も、話を聞いてくれようとしたけれど、もう、私は、自分に呆れていた。
「寝るしかない」
夫には、「ごめんね。仕事で疲れたから」とだけ伝え、後を頼むと、私は、猛スピードでシャワーを浴びて、髪も適当に乾かすと、そのまま、布団に包まった。
せめて、私の大好きな、PTDの推しを見させてはくれないか、と思い、YouTubeで探そうとしたら、オススメに「ジミンちゃんの優しい声。これを聴いたら良く眠れるよ」というショート動画が出てきた。
「電話した?」
「JIMINだよ」
「何で電話したの?」
「あぁ、眠いけど寝れないの?」
「じゃあ、寝かせてあげるよ」
「よく聞いて」
「JIMIN 1」「JIMIN 2」「JIMIN 3」「JIMIN 4」「JIMIN 5」
「眠れそうかな?」
「JIMIN 6」「JIMIN 7」「JIMIN 8」「JIMIN 9」「JIMIN 10」「JIMIN 11」「JIMIN 12」「JIMIN 13」「JIMIN 14」「JIMIN 15」「JIMIN 16」「JIMIN 17」「JIMIN 18」「JIMIN 19」「JIMIN 20」
推しの声を聞きながら、私は、泣いた。子供のように、泣いた。
手で涙を拭ってから、もう一度、推しの声を聞いた。
気持ちも落ち着いていた。
「夫と我が子に、謝りに行こう。でも、眠たくなってきたから、少しだけ……」
目覚めると、もう朝だった。
夫によると、私は、「ぐーぐー」と、いびきをかいて、気持ち良さそうに、熟睡していた、そうだ。
夫と我が子には、それぞれ、きちんと謝った。
2人共、笑いながら、こう言った。
「仕事、辞めれば」
いやいや、仕事は好きだ。
ただ、いくら、歳を重ねても、悲しいものは、悲しいのだ。
情けない、けれど。
そう、情けない。情けない週末だった。
↑余談ですが、もしかしたら、「情けない週末」と聞いて、佐野元春さんの名曲を思い浮かべた方が、いらっしゃるかもしれません。
すみません。私も、大好きです。
カッコいい元春さんについては、また、別の機会に書こうと思います。
ご覧いただき、ありがとうございました。
以上です。