すみません。

「兵役後の最初のステージ」を書く予定でしたが、その前に、どうしても、書きたくなりました。


ほとんど、私事ですが、もし宜しければ、読んでいただけたら、と願います。



「これは、マズい。逃げ場がないな」


高2の修学旅行。3日目の深夜。

ふと、目が覚めた私は、友人だと思っていた2人が、楽しそうに、私の悪口を、しかも、容姿について話している声を、延々と聞く羽目になってしまった。


いや、私も悪い、のだ。

全くキラキラしていない「普通女子」の私が、キラキラした、いわゆる「1軍女子」の皆さんと、一緒にいたのだから。


私が、どれだけ不細工なのか、をテーマにした、2人の悪口は、1時間半近く、続いた。2人が満足して、眠りについた頃、私は途方に暮れていた。


自分が不細工なことは、もちろん知っていた。

母に似れば、美人だったのに、残念ながら、私は、父に似てしまったのだ。

それよりも、あと1日。この修学旅行を、どう乗り切ろうか。



ちなみに、父方の祖父→父母→孫は、皆、そっくりな顔立ち、だ。


先日、年の離れた従姉妹と、数十年振りに会う機会があった。


「こんにちは。〇〇伯父ちゃんの娘の〇〇です。△△ちゃんは、小さかったから、きっと覚えてないよね。従姉妹のお姉ちゃんです。どうぞ、よろしくね」


「覚えてなかったけれど、お姉ちゃんの顔を見て、私の姉が帰って来たのか、と思いました。大丈夫です。分かります。同じ一族で、同じ血が流れています」


2人で、笑った。

小さかった従姉妹の△△ちゃんは、とても素敵な女性に成長していた。



一応、念のため。

私は、私の顔を、大好きだと言ってくれる人と、結婚した。


夫は、今でも、私の顔を見ては、「お義父さんに、そっくりだなあ」と笑う。その度に、私が「ごめんね」と謝ると、夫は、いつも、こう言うのだ。


「何で、いつも謝るの。お義父さんと、そっくりだなんて、幸せじゃないか。お義父さんが悲しむよ。それに、俺は、〇〇の顔が大好きだよ」



結局、修学旅行の最終日は、皆さんの1番後ろを、近いけれど遠いような、微妙な距離を保ちながら、ゆっくりと歩いた。

上手く誤魔化せた、と、私は思っていた。


休み時間は図書館に行くつもりで、私が登校すると、他のクラスの、いわゆる「ヤンチャな女子」の皆さんから、声を掛けられた。


深夜の悪口大会は、かなりの噂になっていた。


私の様子がおかしいことに、同じクラスの女子だけではなく、まさかの男子まで、全員が気づいていて、「〇〇は大丈夫か」と心配していた、そうだ。


私は、誰にも話していない。

2人が、誰かに話したのか。それとも、あの時、私達以外にも、誰かが起きていたのか。


どちらにしても、私は、「1軍女子」の皆さんから、離れた。

そして、何故か、休み時間は、他のクラスの「ヤンチャな女子」の皆さんの中で、過ごすようになっていた。


早慶出身の若い担任の先生からは、「〇〇も大変だなあ」と、ニヤリと笑いながら言われたけれど、あれは多分、彼なりの精一杯の励まし、だったのだろう。

高3のクラス替えで、私が、「ヤンチャな女子」の皆さんと同じクラスになったのは、きっと、そういうことだった。


私は、運が良かった。

私への悪口は、相手が同級生で、高校という狭いコミュニティの話だった、からだ。

そして、何よりも、周囲の皆さんに恵まれた。



今の私だったら。

布団から飛び起きて、2人にきちんと言えた、だろう。


「だよね。分かる、分かるよ。でもさ、うちの一族、皆そっくりなんだよ。笑えるよね。だからさ、お願いだから、悪く言うのは、止めてくれないかな」


でも、高校生の私は。

布団の中で、嗚咽を漏らさないように、震えることしか、出来なかった。

「いつまでも」私への悪口は、続いていた。



あの日、他のクラスの「ヤンチャな女子」の皆さんは、トボトボと、1人で登校した私を見て、声を掛けてくれた。

皆さんの優しさに、私は、救われた、のだ。



再び、ファンダムが揺れている。

SNS上で、繰り広げられる悪口に、救いは、あるのだろうか。


「だからさ、お願いだから、悪く言うのは、止めてくれないかな」


その悪口は、「いつまでも」続くのかもしれない。

悲しい話だけれど。



ご覧いただき、ありがとうございました。


以上です。