すみません。ほぼ、私事です。
しかも、いつものように、長いです。
もし宜しければ、お時間のある時にどうぞ。
夫は、会議とか、打ち合わせとか、出張とか、イレギュラーなことがなければ、基本的に、お昼ご飯を、家で食べる人だ。
もちろん。近くのホカ弁や、スーパーのお惣菜や、レトルトのカレーや、カップラーメンを食べることもあるけれど。
私が、きちんと、冷蔵庫の中に「作り置きのおかず」を用意している時は。
その中から、自分が食べたいものを、適当に選ぶ→あれば、汁物も、なければ、インスタントのお味噌汁や永谷園のお吸い物など、自分が飲みたいものを準備して→あとは、炊飯器から、ご飯をよそって、「はい。いただきます」という感じ、だ。
そして、お昼ご飯を食べ終わると。
食器を洗い、テーブルを拭き、それから、ようやく、彼の休憩時間、つまりは、お昼寝の時間となるのだ。
この「お昼ご飯問題」については、私も、まあ、それなりに、試行錯誤もしてみた。
お弁当を作った時もあるし、前の晩や早朝に、色々と用意した時もある。
結果として。
私には、この「作り置きのおかず」を、定食屋さん風に、それぞれ、適当に選ぶスタイルが、何よりも「楽」だったので、もう、何年も続けている。
夫だけではなく、我が子にも、このスタイルだった。
大学生になると、時間も不規則で、いつが、朝ご飯で、いつが、お昼ご飯なのかは、親には、全く、分からないし、そもそも、理系だから、授業数も多く、実験やレポートやバイトや飲み会や遊びや就活や卒論などで、我が子は、いつも、バタバタしていた。
いや、今、思えば。
高校生の頃も、高校→部活→予備校と、ほとんど、家にはいなかったし、長期休みも、高校や予備校の講習や部活、あとは、遊びやオープンキャンパスなどで、我が子は、とても、忙しそうだった。
まあ、とにかく。
私も働いているし、まだ、父の介護もあったから。
何となく。
平日休みに、音楽を聴きながら、静かに、一人集中して、「作り置きおかず」を作ることが、いつからか、私の習慣になった。
冷蔵庫を開ければ、「作り置きおかず」があることが。
私にとって。
何というか。大袈裟かもしれないが、心の平和だったのだ。
一応、念のため。
幸いなことに、夫も我が子も、食卓が、ホカ弁だろうと、スーパーのお惣菜だろうと、全く、気にしないタイプだ。
そして。2人共、実は、料理上手で、私を気遣って、焼きうどんや豚肉の生姜焼きなどを、パパっと、簡単に作ったりもする。
でも。やはり。
「上げ膳据え膳だなんて、これ以上の幸せはないな」と感謝しながらも。
私は、夫や我が子のために。何よりも、自分のために。
「作り置きおかず」を用意したい、と思うのだ。
あと、「作り置きおかず」は、意外と、どんどん食べ終わるので、夕ご飯を作る際にも、ついでに、新しい「作り置きおかず」も、少し作るようにしている。
もう一つ。
納豆やふりかけ、海苔やめかぶなど、「ご飯のお供」的なものは、とても、大切だ。
永谷園のお茶漬けや、寿司太郎やチャーハンの素も、欠かさないようにしている。
(↑さっきから、どうも、永谷園が多いですが、我が家は、全く関係ありません。すみません)
ちなみに。
今、我が家の、冷蔵庫の中にある「作り置きおかず」といえば。じゃーん。
①卯の花
(おから、ネギ、人参、ひき肉、しめじ、卵)
②煮物
(茄子、舞茸、厚揚げ)
③ポン酢和え
(キュウリ、もやし、人参、大葉、ゴマ、ツナ)
④浅漬け
(白菜、キュウリ、人参、大葉、ゴマ、生姜、塩昆布)
⑤ゴマ和え
(小松菜、ゴマ)
⑥お浸し
(小松菜、人参、しめじ、鰹節)
⑦ナムル風
(アスパラ、パプリカ、ちくわ)
⑧梅肉和え
(キャベツ、梅干し、鰹節)
⑨切っただけ
(千切りキャベツ)
⑩茹でただけ
(オクラ)
⑪ヘタを取って、洗っただけ
(プチトマト)
↑書いてみれば、ただの「常備菜」というか。
人の舌とは、不思議なもので。
歳を重ねてみると。
母が作ってくれた、懐かしいご飯に、少しだけ辿り着く、ような気がする。
母は、丁寧に、手間をかけて、青菜のゴマ和えを作っていた。
フライパンで、ゴマを煎ってから、すり鉢に入れて→すりこ木で、ゴリゴリあてて→砂糖と醤油を、目分量で入れた、和え衣を作って→茹でた青菜を、ぎゅーぎゅーと水分を絞って→食べやすい大きさに切って→もう一度絞って→すり鉢の中で和えて→少し、味をなじませて。
母の青菜のゴマ和えは、とても、美味しかった。
それなのに。私のゴマ和えは。
市販のすりゴマに、市販の昆布つゆと砂糖を混ぜた、まあ、簡単な「ゴマ和え風」のものだ。
それでも、何となく。
私は、母の真似をしたくなる。
いつまでも。ずっと。
さてさて。
LAの3日目。
諸事情により、もう、ステージで歌うことはない、と思っていた「HOME」を聴いて、恥ずかしながら、私は、号泣してしまった。
自然体というか。
等身大の、大人の余白のある「HOME」というか。
まさか、現在の推しの歌声で、更に進化した「ジミン節」を聴くことが出来るとは、思ってもいなかった。
ジャンプする推し。投げキッスをする推し。
くるくると回る推し。スキップする推し。
2026年の「HOME」は、LAの、ARMYの大歓声の中で、とても、幸せなものだった。
PTDのLAの「HOME」から、月日は流れたけれど。
約束通りに。
BTSは、LAの、ARMYの元へと、戻ってきた。
良かったな。本当に、良かった。
LAの公演で、「HOME」を選曲していただいたことには、感謝しかありません。
諸事情など心配ではありますが、スタッフの皆さま、ありがとうございました。
ご覧いただき、ありがとうございました。
以上です。