夫が職場の宿舎に戻ってから4日経った今日は、大晦日だ


夫は頑なに宿舎で過ごすと言う

ホテルをとってゆっくり好きな事をしてと話してもダメだった

上の子が夫に家に帰ってこないで欲しいという事だけでなく、私達のために宿舎で耐えると言っていた

耐えて欲しくないと伝えても、俺が耐えたらいいんだろう?と言う

どうしてこうなったのか考えて欲しいけど、宿舎で耐えないでいいから、ホテルとかで自由に年越ししてと言ってもやっぱりダメだった

だから、自由に好きなものを食べたりして過ごしてと、何とか優しく伝えた


結婚して22年で初めて夫と離れて過ごす年越し


いつ怒るか分からない夫に気を遣わなくていいと思うとほっとしている反面、妻としてできる事はないかと義務感で考えてしまう


夫を蔑ろにしているようにも、客観的に見えるだろう


そう思うと、年末に過ごす場所を夫の実家にしようとして姑に話した事が少し悔やまれた


自分の息子が暴力やモラハラを理由に、家族から拒否されていたら?


原因は夫の暴力であっても、それが嫌なら別れろと私に言った姑の気持ちは子供を庇いたいからだろう


夫が実家に心配をかけたくないという意味は、夫が暴力を振るったりする事を諌められるだけでなく、攻撃の矛先が私達にも向いて離婚問題に口を挟まれるからだろう


そうなればその時に1番いいと、私が判断した道をとるだけになるだろう


それでも1人で年越しをさせる事に、私は少しの罪悪感とザマアミロという少し意地悪な気持ちを抱えていた

因果応報だろうけど、そうだとしたら、私にも罰が回ってくるのか


そんな事を考えながらキッチンに立つ

おせち料理の準備も整ったけど、今年は少な目に作った

お酒も少な目に用意した

子供と3人だとどんな感じでお正月を過ごそうかと今更ながら思う


3人ならスキーに行ったり温泉に行っても良かった気もする

でももうすぐセンター試験もあるし、コロナになって受験に響いたら困ると、家にいることにしたんだっけ


思わずため息をついた

私達夫婦の支配的な関係を長年見てきた子は、色んな不満を爆発させてしまった

夫が下の子を殴るのは、上の子がいい子すぎたから、私のせいだと上の子が私に話してくれた

夫が殴る相手は、下の子や時々上の子、庇うと私も殴られた


少し前に


夫「もう上の子は殴らなくても話を理解できる年になったから、もう殴る必要がない」

と言ってた


本当に最低な事を言っている自覚がなくて吐き気がした


殴るのは、上の子のせいではないともちろん話した

殴っていう事を聞かせようとするのは、夫の考えで夫の問題行動なのだから、上の子のせいではない


上の子「突然怒り出したり、優しくなったりするのが怖くて、イライラしてくるってパパには伝えた事がある

もし、私達が外の人だったら怒る前に確認したりするよね?

パパは職場では普通に過ごしてるんだから、外でできてる事をどうして家ではしてくれないんだろう」


私「そうだよね、家族のためと、何より1番大事だって口では言うけど、あんなに怒らなくてもいいよね…本当にもっと早くにこういう話をママがパパとできてたら良かったのにね」


上の子

「殴りまくる時点でもうダメでしょ?

早めに別れる方が良かったんだと思うよ?」


私「そうかもね、これから先も何か勘違いして怒り出したら止まらないからね」


そう言ってから今まで子どもを理由に我慢していた事が間違っていたのだと気づいた

子供は親を本当によく見ている


大晦日の19時過ぎ

今年はほんとに色んな事があったと、年越し蕎麦を早めに作りながら考えていた


山に登ったり、映画に行ったり、夫に言い返したり…

今バラバラになりつつある家族をどうしたらいいのだろうか


後3年我慢しようと思っていたら、先に上の子がメンタルダウンしてしまって夫を拒否してしまったから、私も自分がある程度メンタルダウンしている事に気がついた


無気力に急になって身体が起き上がらないとか、力が入らないのはワクチンの副反応というよりも、多分鬱だと思う


上の子の事で、私も病んでいる事を自覚してしまった


その上、下の子も食事をとらなくなってきた

1日1食とれたらいいくらいだ


この年越し蕎麦もどれくらい食べてもらえるのだろうと思いながら、昆布と鰹節でとった出汁に鶏肉を入れる

とりも出汁になってネギもたっぷり入れて、美味しい鳥そばの出来上がり


紅白歌合戦を観ながら蕎麦をすすり穏やかに過ごす


上の子「パパがいたらこんな番組観るなっていうよね?」


私「バラエティとか歌番組とか興味ないもんね」


一緒にいてリラックスできなくなったのはいつ頃からだったんだろうと、考えようとしてやめた

じんわりと少しずつ変わってきて今の状態になったんだろう


来年はどんな一年になるのだろうか