バイト先でちょっと人に優しくされただけで舞い上がるほど嬉しい現実って何なんだろう。
私ってチョロインなのかもしれない。
夫との愛の形は変わってしまった。
献身的に家族に尽くすことが私から家族への愛ではあるが、与え続けることに疲れを感じている。
愛は無償のものだとは分かるが、体裁の良い言葉に思えるほど疲れてしまった。
ずっと掃除や料理や洗濯や整理整頓ゴミ捨て食料などの買い出し、家のものの管理、お金の管理、子供の教育、学校関係何でもやってきた。
1人で。
夫は仕事を頑張っているから仕方がないと思い続けていたかった。
確かに仕事は頑張っていると思う。
仕事だけは。
仕事メインで家族はおまけのような生活をされると、何だか悲しくなる。
家族の何もかもを私が1人でするのは疲れる。
相談しても仕事があるからできないと言われると、悲しくなる。
私は大好きな家族のためと思って悲しくなる事があっても我慢していた。
その我慢ができなくなってきたから自分を許したくなっている。
もう我慢をしなくていいと思う。
もし今死ぬとしたら、きっと後悔すると思うから。
もっと自分を大切にすれば良かった事を。
もっとやりたい事をやってから死にたかったと。
そう自覚した時に、離婚してもいいと思えた。
私を大切にしたいと口で言う夫とは、もう一緒にいたくない。
さぁどうしよう。
本格的に人生について動き出さないと、明日死ぬわけにいかなくなる。
私が死ぬまでにやりたい事は、
①富士山に登る(登りたいと言ったら夫に死にに行くもんだと言われた)
②欲しい車を買う(夫が嫌いな車を買わせてもらえない)
③ペットを飼う(生き物にお金を使いたくないと夫が反対するため飼えない)
④キャンプに行く(アウトドアが嫌いな夫が行かせてくれない)
⑤実家に時々帰る(何年も帰らせてもらえない)
夫のせいでできないことが多すぎる。
このリストを夫に言ったら、
夫「俺が死ぬか離婚しないと全部は無理だから」
と言われた。
死ぬのを待つほど時間がないから、やっぱり離婚した方が人生に納得できそうだ。
とりあえず富士山は行く許可を取れたから(許可がいるのが変だが)今年の夏に1人で行こう。
そこで、夫が言うように私が死んだとしても、とりあえずリストの①を消化できる。