私には、年上の夫と子供が2人いる。
束縛の強さが愛の強さだと勘違いしていたと気づいたのは、子供を産んだ後だった。
転勤先の寒い北の知らない土地で、1人ではじめての子を産んだ。
仕事が忙しい夫が、病院に来られない事は予め分かっていた。
そんな事よりも、無事に出産する事が私の使命と何時間も頑張った。
そして、夫の両親が産後1ヶ月間の子育てを手伝ってくれた。
実家は遠く、両親は入院中で頼る事ができなかったから、本当に助かった。
しかし夫は、何もしない。
子育ては妻の仕事と、おむつ替えも沐浴も何も手伝ってくれない。
おむつ替えは、不潔だから触りたくないと嫌悪していた。
それどころか、職場への送り迎えを両親が帰った後に私にさせた。
たった3kmの道のりを歩けばいいのに、赤ちゃんを抱えて雪の中、車での送り迎えは産後の身体にはこたえた。
辛いと言えば、俺の仕事の方が辛いと、対抗心剥き出しで言い返してくる。
何の思いやりもない態度に、私の心は冷え切っていった。
夫からの愛はどこにいったのかと、辛い気持ちを打ち消すように、子供を溺愛した。
私が子育てを頑張れば頑張るほど、夫は私にきつくあたった。私を子供に取られたような気持ちなんだろうと思う。
2人目が欲しいと言い出したのは、夫だった。
兄弟がいないとかわいそうだという理由だったが、こんな家庭に子供を増やす方がかわいそうだと思った。
しかし、夫の意見は絶対。この家の王様で、家族のために仕事をしているから何でもいう事を家族がきくのが当たり前だと言う。
仕事をするからには、家事はしないし、家族への責任もとらないとまで言い出した。
絶望感と幼子を抱えて、我慢していた。
我慢して生活しすぎて、我慢が当たり前になった世界。
それが私の家族だ。