親父様は鹿児島県生まれ。昭和ヒトケタ世代。
家が貧乏で、破産して、大阪に出てきました。
男3人兄弟の末っ子です。


頑固一徹の親父様で、
仕事場では厳しくて怖い人で、
友人や仲間たちからは、

「あの人の奥さんと子どもさんは、
さぞかし大変なんだろうな。可哀想にな。」
と、陰で言われていたそうです。


そんな親父様が固く守っていたことが、3つあります。


① オフクロ様に対して怒鳴らない、手を挙げない、
  物を投げてぶつけたことがない。

② 卓袱台(ちゃぶだい)を、ひっくり返したことがない。

③ どれだけ怒っていても、ボクに対して「オレはな・・・」ではなく、
  「お父さんはな・・・」と、どこか冷静であったこと。


①と②は、自分が子どものとき、
「母親が父親にされていて、そのたびにオフクロが、
人知れず泣いていたのを鮮烈に覚えているから。」
と、よく言っていました。


③は、「怒るのと叱るのは違う。お前も、大人になったら分かる。」
と、言いました。


酒を飲むとよく言ったのが、この台詞でした。


「男はな、服装なんてどうでもエエこっちゃ。
ボロボロの格好でもエエんや。汗水たらして働け。
ただし、奥さんと子供はちがう。
良いものを食べさせて、良い服を着せてやれ。」


家では、オフクロ様に頭が上がらなかった親父様。

仕事場の友人や仲間たちが、
その事実を幼かったボクの口から知って、驚いたそうです。


幼い頃から、旅行に行くときは、親父様がボクにも荷物を持たせました。
もちろん、いちばん重い荷物は親父様が持ちました。
オフクロ様はハンド・バッグひとつでした。

ボクの家では、それが当たり前でした。


そして今、
ボクは古代史が好きになって、卑弥呼の時代を詳しく知るにつれて、
鹿児島の隼人を知ることになりました。


幕末に政府側の武士たちが、
勇猛果敢な薩摩の武士をして言った「薩摩隼人」ではなく、
古代倭国時代の、「古代薩摩の隼人」の感性が、
親父様と重なったのです。


1500年以上も前の時代だから、
遺伝ではないはずなのに、
DNAはちゃんと生きているんですね。


へぇ、親父様ってかっこよかったんだ。
かっこいいこと言っていたんだ。
自慢できる親父だったんだ。


ボクが成長するにつれて、
親父様とボクとの考え方や、
物事に対するとらえ方が真反対になり、
ボクはそんな親父様が疎ましくて、
だんだんと避けるようになってしまいました。


ボクが親父様とつきあったのは、たったの13年間。
親父様が天界へ逝ってから、親父様の心に気づくなんて・・・。


もっと親父様とキャッチボールをしたらよかったな。
もっと親父様と話をして、いろいろ教えてもらいたかったな。


早すぎる旅立ち。
きっと、心残りだったんだろうな。
もし生きていたら、今年で80歳になるよな。


でも、息子としたら、今更、照れくさいよな。
でも、かっこよかった親父様に、ちょっぴり嬉しいかな。


あのとき、気づいてあげられなくて、ゴメン。
あのとき、キャッチボールを嫌がって、ゴメン。
あのとき、疎ましくて避けてばかりいて、ゴメン。


でも、今、気がついたから。
あらゆる人に愛されるようになっているから、心配しないでください。

ありがとう。