現代の若い世代の人って、クルマを見てもワクワクしないらしい。
そりゃそうでしょう。
だって、現代の最新鋭のクルマには、
すごさを感じさせはしても、ワクワクさせる要素が少ないもの。
売れ筋のデザインをあらかじめデータ化させているコンピュータ上で、
次に売り出すクルマのデザインをはじき出す。
世界的に有力な会社がそのデザインのクルマを売り出すや
他社も右へならえとばかり、猫も杓子も真似をしはじめる。
その結果、どこのブランドか分からないようなモノ、
つまり、創る側の個性とか心意気を感じさせてくれるような
気骨のあるモノではなくて、
買い手にこびるようなモノが市中に出回ることになります。
そのようなモノに何百万円ものお金を使う必要性を感じないのは、
正解といえます。
ちょっと古びたクラッシック・スタイルのクルマを見ると胸がときめくのは、
きっと、その強烈な個性にあるからだと思います。
それぞれの作り手がデザイン力や技術力を主張研鑽しながら、
きっと近いうちに、圧倒的なクルマ社会が到来するという夢に胸を躍らせ、
ひたすら造っていた当時の人々の心意気がこめられている。
この心意気の強烈さは、およそ売れ筋データではじき出したモノとは
ステージが違いすぎます。
今の子どもたちが大人になったとき、
次の世代の子どもたちに
ワクワクしながら伝えることの出来るものってあるのかしら?
それよりも、今の子どもたちは
作り手の心意気を一目で見抜くだけの眼力を備えた大人になれるのかしら?
その心意気をワクワクしながら感じられる大人になれるのかな?
高度経済成長期まっただ中で、
大人たちが明日の夢に向かってワクワクしていた時代に育った私の幸運を、
「その時代だからできたこと、感じられたこと」にはしたくない。
どんな時代であろうとも、ワクワクさせられることは、きっとあります。
大切なのは、ワクワクさせることを考え出そうとする心意気を、
ワクワクさせるモノを作り出そうとする心意気を持つこと。
この心意気がなくなったら、それこそ、世は末になってしまう。
この心意気が失われない限り、時代はきっと開けます。