みっちの春眠暁を覚えず -123ページ目

みっちの春眠暁を覚えず

〜人生前半〜
『楽しい』や『幸せ』が少しでもブログを通して広がればいいかな~とか考えています。
〜人生後半〜
おりかえしました!復路です!
素敵な人生だったなぁ♡とおもえるように。
旅と断捨離と投資


#昨日のおうちこはん

#豚しゃぶサラダ

#今日の2人弁当

#ピーマンの肉詰め は美味しいよね♡

#あっ、5時起き弁当

#6時から走るつもりが毎日計画倒れ^^;

西日本豪雨から11日。まだまだ町は全く平常を取り戻せない。

平日はそう再々私も有給取れないから出向けない。マジでもどかしい。

朝霧湖マラソンのおとい会館。写真見てもニュースみても新聞みても辛すぎて涙する。

来週の飲み会もキャンセルした。そのお金義援金に寄付した。

今回のボランティアの件で一緒にいこうとゆうてくれた友人もやはり復興の事が頭から離れないらしい。

私も大体がクソ真面目なんで。笑。

こんなになっとります。笑。

だからクソ真面目な私を騙したりしないでね。笑。

なんでも信じるんだから。笑。

多分オレオレ詐欺とか完璧同情して、速攻ひっかかる。笑。

今は行ける日にボランティア活動。

その後は長期的な支援活動。

農業の長期的な支援ってどんな事なんだろう???

しらべよう。

まだまだ分からない事だらけ。

でも沢山の仲間が復興を一緒に働きかけしてくれてる。

同志ありがたいわい♡

今週末は松山予定。

来週末は南予予定。

明日は木曜アタック。頑張っていこう!!!

先週は胸が苦しすぎてアタック行けんかった。笑。←単細胞すぎやろ。

良いも悪いも人の感情受けやすい。←よく怒られる。笑。

テレビドラマで毎回号泣はうざいわいね!笑。



ある方の西日本豪雨の日
〜facebookのシェアだけでは拡散に限りがあるので。ここに転送しました〜








6月から東京から愛媛県西予市野村町に引っ越し、染織の勉強をしています。

報道の通り、今回の豪雨で野村町を流れる肱川が氾濫しました。

町の中で、川に近い私の地区はほとんどが床上浸水しました。
私は避難でき、無事です。住んでいるアパートは2階で、1階は駐車場だった為、少し高めの造りで床上浸水は免れましたが、あと20センチ上に来ていたらダメでした。
無事でした…が、日常を取り戻せる道筋は見えていません。

久しぶりのフェイスブックの投稿がこんな報告ですが…忘れてしまわない内に書き留めておきたいと思います。災害が起きた当時のことを書き残すことが重要と考え、事細かに書きました。

とても長いです。フェイスブックに書く文章量ではないですが…

【肱川氾濫前後の行動】

○6日 (金)
7月に入ってから毎日雨が降り続いていました。土砂降りになることもありましたが、そこまで強くない雨がずっと続いていました。

土砂崩れの心配はみんなしていました。私は商店街のある街中に住んでるので心配ないよ!と言われていました。

金曜日には風と雨の音が大きくなり、雨は弱まる気配はありませんでした。
今までならどこかで弱まるのですが、雨があまりに降り続くので、少し怖くなり家族や友人と連絡をとりました。
地域おこし協力隊の隊員で、去年から隣の町に暮らしている友人とは、地元の人たちは大丈夫と言っているけど、本当に大丈夫だろうか?という話をしていました。
隣家のスナックは深夜までカラオケの音が聞こえましたし、地元の人は通常通りという感じでした。

○7日 (土)
早朝、5時15分頃、町内の防災放送で目が覚めました。いつもの6時の時報のチャイムかと思って携帯を見るとまだ5時です。大雨の音の中でかろうじて避難指示と聞き取り、焦りました。
避難指示ってなんだっけ?と検索。避難準備、避難勧告、避難指示の中の一番緊急のものだと気付き、信じられない気持ちでした。(この時、放送ではダムを放流すると言っていたそうですが、避難指示しか聞き取れませんでした。)
それ以前に大雨警報以外の避難に関する情報はなかったので、本当だろうか?と思い、地元のお世話になっている博物館の館長に電話。
「そこは高いから大丈夫やろ!」の一言。本当にそんなものなの?と困惑しました。
今更になって、これは何に対する避難指示なんだ?と思い、Yahoo!防災情報、西予市のホームページを確認。Yahoo!はまだ何も書かれておらず、西予市の方には肱川の氾濫の危険性が高まったと書かれていました。
確かにアパートは高めに作られていますし、川沿いの土地の高さからすると3階にあたるかと思います。
やっぱり大丈夫なんだろうか?と思いながら、着替え、避難用の荷物と朝ご飯とお弁当の為にご飯を炊き、お味噌汁を作りました。
(今考えるとよく朝ご飯を作ってたなと思います…)
朝ご飯を作りながら、停電になりました。やっぱりヤバいよなと思いましたが、それでもご飯とお味噌汁を器によそい、机に置いてから、駐車場の電動自転車を高いところに移そうと思い、レインコートを着て外へ。
周りの車はちらほらなくなっていて、裏のトウモロコシ畑は土が見えず、水が溜まっていて、隣の水路をものすごい勢いで水が流れていました。やっぱり逃げなきゃ、自転車を移動させて、部屋への階段を上がっていると消防団の人が近づいて来ました。
「逃げてください!聞いてないですか?6時半にダムを放流します!」
ダムを放流するという話は初めて聞きました。
パニックになり、部屋から避難用のリュックだけ取り、家の鍵もわからなくなり、開けっ放しで出ました。
家を出る時の時間は6時27分。あと3分で放流される。私はダム放流の話を聞こえなかったんだろうか?それとも地元の人は前から知っていたんだろうか?
アパートの他の部屋は消防団の人が声かけしてくれていました。
「避難場所は公民館か小学校」と言われましたが、公民館がわからず、小学校へ。
小学校へ移動する途中で母に連絡。

小学校への道、途中で川の方を家から見ている近所の方がいましたが、何も声をかけることができず、長靴の中に雨が流れ込むほどの土砂降りの中、歩きました。

小学校の体育館に着くと、10組ほどの家族がいました。
思ったより少なくて、やっぱり大したことないのかな?と思っていたら続々と増えていきます。アパートの他の住人や知り合いはいませんでした。
小学校でも停電になり、寒く、埃っぽく、よくわからないまま座っていました。8時頃から浸水したという話が聞こえ始めます。
まだ引っ越して1ヶ月、地区の名前がよくわかりません。うちより土地の低い地区もあります。その中で保育所の屋根しか見えないという話が聞こえて来て、もうダメだと思いました。保育所は家と川の間くらいにあります。

避難所でパンと水の配給がありました。周りは高齢者が多く、熱を出した子供もいました。10時頃に雨が小止みになり、水が引いたという話があり、家に戻りました。小学校から家に戻る道、泥が見え、物が散乱しています。ここまで水が来たんだ、うちの高さはどれくらいだったろう?段々と道を下って行くと家の壁の水の跡が高くなり、私の身長を超えました。アパートは1階の駐車場が泥だらけ、2階は無事。
家の前の通りには救急車が止まっていて、周りは1階が全て浸水した状態です。ガスが漏れているのかガス臭かったです。隣の家は少し低い位置にあり、2階まで浸水。2階の窓は吹き飛ばされ、家具はほとんどなくなり、室内の壁の中の木の部材が見えていました。
呆然としばらく歩きました。
下流には電信柱が曲がったり、車がひっくり返っていたり、まだ水が引いていないところもあり、怖くてすぐに引き返しました。
アパートから、裏の畑を見るとトウモロコシが濁流に押し流され倒れていて、その向こうに軽トラックが水の中に沈んでいて、畑を魚が泳いでいました。
部屋に上がると出て行った時のまま、ぼーっとしながら朝ご飯を食べました。水がまだ出ることに気付き、風呂桶とやかんに水を溜めます。ガスは元栓を閉めました。
その後、大家さんが到着、少し話をして、疲れて横になりますが、ずっと心臓がドキドキして、眠ることはできず、でも体も動かせず、そのまま日暮れが近づきました。携帯の充電もなくなり、途方に暮れているとバイト先の店長が家にやってきてくれ、食料と水、携帯のバッテリーの差し入れをくれました。私はすぐに水も電気も復旧すると思っていて、少し遠慮しましたが、店長の顔が深刻そうで、
「どうにか生き抜いてね」と言われました。
事の深刻さに少し気付き始めました。

その夜もまた土砂降りで、雨が初めて怖く感じ、この家は崩れるんじゃないかと思い、ほとんど寝られませんでした。避難所に戻るべきでしたが、寒く埃っぽいところに戻り、体調を崩すのも怖くて、アパートにいました。友人から、停電で明日以降はスマホの通信がしづらくなると連絡が来ました。
外を見ると遠くの山の山際が光っています。向こうの町は停電ではないようでした。

○8日 (日)
昨日の店長の言葉で、しっかり自分で生きないとと思い、避難所に戻り、情報収集し、おにぎりと水をもらい、バイト先でまた食料をもらい、講座を受けている博物館の様子を見に行きました。そこで無線のテレビを見せてもらい、死者が50人を超える大規模災害になっていることを知りました。
博物館は町の外れで山に近く、山の向こうの電波が届くのか、スマホも使えました。その後、友人が来てくれて被災していない隣町まで連れて行ってくれました。いつもは30分かからない隣町への道ですが、土砂崩れが起きて通行止めにより、大回りをして1時間近くかけて移動しました。
移動の間、道路の横の斜面から土砂や水が大量にでていて、陥没しかけているところもあり、二次災害の危険性がありましたが、道はその道しかないので、そこを通りました。

○翌日以降
近所の片づけの手伝いやバイト先の手伝い、博物館の手伝いなどをしました。
周りは本当に深刻な状態で、誰かと一緒にいたら大丈夫ですが、1人になると何もできなくて呆然としていました。

【気づいたこと】

○地元の人の防災意識について
私も含め、防災意識は低かったと思います。肱川が氾濫する訳がないとみなさん思っていたと思います。災害はテレビの向こうの話だと思っていたとも聞きました。ここはダムがすぐそこの上流ですし、過去に大規模な氾濫はなかったようです。みんなが心配するのは土砂崩れでした。私はアパートを決めた時に川が近いけど、他の家より高いし、2階だから大丈夫だろうと思っていました。そんな中、消防団の声かけのおかげで逃げられたと思います。

○避難用カバンについて
いざ、避難しなければいけない時、パニックになります。私は手が震えてカバンを持つことしかできなかった。必ず事前に用意が必要です。私は毛布やタオルを入れていなくて寒い思いをしました。季節によって、変わると思いますが…
いつも使っているものを逃げる時に入れてから…なんてことはできません。
いつものものと同じもののスペアを用意して入れておいた方が良いです。

○逃げ遅れた人について
地元の人に聞いた話ですが、消防団の声かけ、近所の人の声かけにも関わらず、逃げなかった人、外に出ないと言った人がいます。そういう人たちが逃げ遅れて亡くなったと聞いています。全員ではないと思いますが、私のアパートの斜め前の家の方は出ないと言って、そのまま逃げ遅れて亡くなりました。私もかなりギリギリまで逃げようとしなかったことを反省してます。
避難指示は逃げなきゃダメです!

○ダムの放流について
野村ダムは町から車で5分くらいのところにあります。また、近くの鹿野川ダム、野村ダム、両方での放流があったそうです。
報道でも、地元の人たちの間でも、ダムの放流について、問題視する声があります。私も、最初に聞いた時にダムを放流されたら終わりだと思いました。予測できないことが重なったとはいえ…ダムの放流によって氾濫が起きたのは事実だと思います。せめて前前日の夜にでもダムの放流の可能性があることを知っていれば…と思います。
これからどういった話になっていくのか、気になります。
ただ、野村はまだ今回の災害の総括ができる段階ではありません。早々に結論が出てしまうのは怖いです。

○ライフラインがとまること
電気、ガス、水道がないとお風呂に入れないことに気付きました。
鍋、食器を洗うのに簡単に水が2リットル無くなります。
どれだけインフラに日々支えられていたか実感しました。
また、井戸水がある家があること、周辺の被害のなかった集落に親戚がいるという方もいて、洗濯やお風呂を頼ったりしていて、田舎ならではの利点も感じました。

○情報について
野村にいても、野村の情報がわかりませんでした。下流の方がもっと悲惨な状況だと知ったのは後になってからです。復旧状況、一番確実なのは市役所、避難所で聞くこと、テレビを見れる東京の母からの情報も知らないことばかりでした。また、野村は山の中で当初は孤立していたので、報道もされなかったようです。

今までなんとなく見聞きしていた、緊急事態の行動がとても役立ちました。特にお風呂に水を貯めることを知らない人は野村には多かったです。
今まで災害を経験して来た人の知識が本当に役立ったなと思います。

○災害時の手伝いについて
いたたまれない状況で、言い出すのは勇気が必要でした。お手伝いできることありますかと言っても、いいから、大丈夫だからと言われました。私が頼りないからだと思いつつ、被災された方が手伝いを受け入れる心の余裕もなかったのかもと思います。タイミングというか…手伝いますと言いながら、そのまま手を動かし手伝ってしまうのが良いと思いました。
お手伝いできたおばあさんの家では泥まみれの台所を片づけました。
思い入れのあるものを捨てる決断をしなければならないおばあさんが不憫でなりませんでしたが、衛生上、全て捨てた方が良いとも思い、取っておくと言うおばあさんとの間でとても気を揉みました。

【現在】

電気は4日目に復旧しました。停電は変電所の水没が原因だったそうです。
水は、浄水場が水没し、復旧までにあと10日かかるそうです。(7月10日時点)

ガスはアパートのLPガスのタンクが完全に水没し、部品の交換が必要ですが、部品のある大きな街も浸水していて、いつ手に入るかわからない状況で、長ければ1ヶ月と言われています。

水、食料は土砂崩れが各地であり、道路の通行止めがある中ですが、手に入るようになり、スーパーも開いて、特に物資に関しては充分にあるみたいです。
周りは工事現場のような砂埃と腐臭で、窓を開けていられません。ダムからの泥はとても粒子が細かく、少し歩いただけで、喉がイガイガします。

私は浸水もせず、無事ですが、土地勘のない土地で1人で生活する体力、精神力がなくなってきて、断水があと10日という話を聞いて、東京に戻る決心をしました。
断水があと3日なら頑張れたかもしれませんでしたが、限界でした。
地元の方が心配してくれて、お風呂に入れてくれたり、ガスコンロをくれたりしましたが、自力で何もできないこと、頑張ろうと思える精神力がなくなってきました。
何か必要なものはない?と聞かれても、自分で自分に何が必要なのかわからない状況でした。
東京へ帰ろうという決断すら、骨の折れることでした。

私より大変な状況の人がたくさんいて、瓦礫撤去をする人手が足りないと言われる状況で、東京に帰るのは心苦しく、情けないです。

まだ今回のことを受け止められていません。少し落ち着いたら野村に戻りまた頑張りたいと思います。必ず戻ります。

町は以前と同じようにはならないと思います。高齢者も多く、家を建て直すより引っ越す人もいるかもしれません。私もこのままアパートに住めるのかも不安です。

災害はどんな人でも必ず一度は経験すると思っていた方が良いです。旅行先で起きる可能性もあります。
私は地震は想定していましたが、水害は予想外でした。でも日々の活動ができなくなるのはどんな災害でも同じです。

日々防災について考えてくれる方々、災害救助のプロの方々に感謝しかありません。
1週間は東京にいます。
また気づいたことがあれば、投稿します

これからの為に何かご意見やアドバイスがあれば、是非コメントして欲しいです。記事は公開にしています。

#海の日おうちごはん 

#夏を乗り切るうなぎ丼

#うなぎ丼

#一応国産うなぎ

#中国産でもいいって

#土用丑の日先取り 

#ナストマト豚肉をレンジでチンして 

#夏レシピ

#スイカ🍉大好き 

#栄養つけて体調整える

#ふたり弁当

#旦那さん弁当

#ナマモノ入れれんけん茶色いね😅

#オクラの豚肉巻きうまうま

#ボランティア活動が気になり来週の飲み会断った

#ちょっと入り込みの性格がやばい。



仕事も家事も立て込んでたんで

写真撮り溜めアップ。

夏はさっばりごはんがええね。

#おうちごはん

#ふたりごはん

#豚しゃぶサラダ が美味しかった♡

#鷄つくねバーグ  も美味しい♡

#生春巻き 作るの上手くなった♡

#おでん🍢常備品♡

#旦那べんとう

#5時起きお弁当作り 

#うちの食料あっという間になくなる

#ふたりぐらし

疲れが抜けんので今日は鰻予告♡

鰻食べて体力戻して

また週末はボランティア行く💪

頑張ろう!西日本!!!


7/15

大洲市水害災害復興ボランティアに参加してきました。

天然クソ真面目って言われてるんでんで😁

参考のために状況、感じた事をアップしておきます!

松山を7時出。今回は姉と松っちゃんと3人で。南予行き高速はやや車が多かったけど混むほどではありませんでした。インターが混むかもと聞いてたので内子インターで降りました。

大洲市福祉センターに8時半頃到着し受付。この時は10番目くらいに並べました。

ミーティング後、白滝地区の民家へ15名配属してもらいました。

現地へバスで運んでもらう時の光景。

この大きな肱川が氾濫してこの街をのみ込んだ。ダイキもスーパーも沢山のゴミを山住みです。美味しいラーメン屋さんAJI10.さんもお店閉めてました。

ビニールハウスの中の作物が全部枯れてて悲しかった。

※センターの方からボランティア配属先の写真はプライバシーもあるので撮らないでくださいと言われました。今回は作業風景等は撮っておりません。

バスで現地に到着。

お家は旧家で掘りごたつは炭。裏の土間は石窯でした。奥に味噌作り道具やら。水没した1階の荷物、家具、たたみまで全て全部運び出しました。

沢山の荷物を運び出す作業15人で14時半まで行いました。みんなほんとよく働く人らでした。

畳が水分含むとあんなに重くなるんだとはじめて知りました。

泥水をかぶった畳や家具はやはり臭うし、レジオネラ菌の繁殖があるからマスクは必ず必要ですね。

この家はお水がででいたので、一応手洗い用水持っていってたけど、手洗いには困りませんでした。

※手洗いしてもその後アルコール消毒はしてからドリンク等飲む事。

作業の合間に15人と色々話。

大分市から軽トラで来た母と娘。福岡から70歳くらいのおじいちゃん。北九州から20歳の男の子。大洲の農家の女の子。高校生兄弟。その他。

みんな何かしなけりゃと遠方からも遥々。

今回も思ったことは、若い子が心を痛めてボランティアに参加して来てることに感動した。大人は当たり前だけど若い子が動けるって凄いことだと思う。

写真のボランティア先一覧はほんの一部だそうです。まだまだ毎日要請電話は入ってるそうです。

復興には沢山の力が必要。

頑張れ!西日本!!!