内田樹氏と山崎雅弘氏の対談本『動乱期を生きる』を読み終わりました。

 

私がリベラル派の本を読んだ理由ですが、彼らの日本の社会経済状態に対する批判に対しては以前から共感する部分も多々あるのですが、なぜかその原因について絶対に「財務省」を批判しないことが不思議だったので、それを確かめる意味でも読んでみました。

 

そして私の仮説を裏付けるように300ページ以上もある日本の社会経済を評論する本で驚くべきことに「財務省」という言葉が本当に一言も無かったのでした。

 

なぜ彼らリベラル派は日本の最も重要である政策官庁である財務省をそこまで無視する態度を取るのでしょうか。

 

一つの可能性としては財務省を思考の枠組みに入れてしまうと自分達のイデオロギーに差し障りが出てくるからではないか。

 

具体的に言えば「安倍首相独裁論」に邪魔になってくるからです。

 

山崎氏は「第2次安倍政権以降は、そんな先人の業績など自分には関係ない、彼らに敬意を払わなくても俺たちはやりたいことができるのだ、と言わんばかりの歪んだ全能感が、言動の端々から滲み出るようになりました」と語り、内田氏も「パワークラシーの社会では『現に権力的に振る舞っている』という事実そのものが『これからも権力者であり続けること』の正当性の根拠になる」と語っているのです。

 

ところが安倍総理は回顧録で消費税など上げたくはなかったのに財務省にあげるようにさせられて悔しかったと愚痴を垂れまくっていました。

 

安倍総理の回顧録から一部抜き出してみました。

 

「増税を延期するためにはどうすればいいか、悩んだのです。デフレをまだ脱却できていないのに、消費税を上げたら一気に景気が冷え込んでしまう。だから何とか増税を回避したかった。しかし、予算編成を担う財務省の力は強力です。彼らは、自分たちの意向に従わない政権を平気で倒しに来ますから。」

 

「だって、デフレ下における増税は、政策として間違っている。ことさら財務省を悪玉にするつもりはないけれど、彼らは、税収の増減を気にしているだけで、実体経済を考えていません。」

 

「『目先の政権維持しか興味がない政治家は愚かだ。やはり国の財政をあずかっている自分たちが、一番偉い』という考え方なのでしょうね。国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです。」

 

もしリベラル派が主張する安倍独裁論が正しければ、消費税増税などなかったでしょうし、empirical(経験的)にいって安倍独裁論は明らかに間違っています。

 

財務省を持ち出すとこのように安倍独裁論が主張できなくなるので、それが一つ目の理由ではないか。

 

もう一つの可能性としては、実は彼らは財務省が正しいと心の中では思っているのではないか。この対談本では最初から最後まで権威主義(Authoritarianism)に反対しており、それはそれで結構なことですが、日本で最も権威のある役所である財務省を取り上げないことによって財務省を現在の日本の状態から免責してしまっているのです。

 

「日本は実質GDP成長率ではG7の中で最下位です。賃金も2022年時点で比較可能な38カ国中25位。日本だけが『一人負け』であることが数値的に示されています。これは誰が何を言っても、過去20年の日本の経済政策が間違っていたということを意味しています」と内田氏は語っているので、私はいよいよ財務省に対する緊縮批判か、と期待していましたが次にこう続きます。

 

「でも自民党は相変わらず『アベノミクスは正しかった』といって自分達の誤りを認めようとしない。つまりこれからも円安を追求して、大企業を優遇して、賃金を下げて非正規労働者を増やして、消費税を上げ続ける・・・こんな政党にこれ以上政権を委ねていたら日本は滅びます」

 

財務省はなぜか存在しないのです。なぜそんなにまでして財務省に免責を与えるかいまだに理解不能である。どう考えても消費税を上げ続けよとしているのは財務省なのに。