2025年1月から始まったNHKの大河ドラマ『べらぼう』を見て思ったことがあったので少し書いてみたいと思います。

 

この時代劇は江戸中期にメディア王となった蔦屋重三郎を描いたものですが、田沼意次が老中として活躍した時を経て老中松平定信が行った寛政の改革が行われた時代にあたります。

 

寛政元年は西暦でいうと1789年になりますが、この年の7月14日にバスチーユの牢獄が襲撃されることによってフランス革命が始まりました。

 

またアメリカがイギリスからの独立に成功し最初の大統領選挙が行われジョージ・ワシントンが初代大統領になったのも寛政元年にあたる1789年でした。

 

このように蔦屋重三郎が活躍していた時代は日本国内でも世界においても激動の時代だったのです。

 

実はフランス革命とアメリカの独立革命には共通点があり、それはどちらともブルジョア階級(中産階級)が主導していたことでした。

 

ジョージ・ワシントンが寛政元年に初代大統領に選ばれた時、投票ができた人はアメリカの総人口の6%ぐらいだったそうです。

 

つまり白人でアングロサクソンでプロテスタントで男性である、かなりの財産を持つ人に投票権は限られていたわけです。

 

この6%という数字は日本が明治時代に最初に投票できた人の総人口1%と比べるとかなり高い比率ですが、これを完全なデモクラシーと呼べるかといえば、かなり疑問が残ります。

 

また、フランスでも寛政元年にルイ16世が行き詰まった財政問題で何らかの解決策を模索しようと休眠中だった三部会を開かせます。

 

第1部会はカトリックの聖職者代表で第2部会は貴族の代表、そして第3部会が平民の代表で、この第3部会が中心になって革命を進めていったわけですが、平民の代表という人たちはどのような人々だったのでしょうか。

 

ジェレミー・ポプキンスの『新しい世界の始まり』という本には次のように書かれています。

 

「第3部会に選ばれた600人の中で圧倒的な存在を示していたのは法律の訓練を受けていた者たちだ。218人は判事や下級判事の職を持っていた。そして181人の人たちは自身を弁護士と規定していたのである。」

 

「第3部会に所属する人たちは、農民や職人、労働者などの人口に占める圧倒的多数を占める者たちよりも経済的には豊かであり、多くのものはぎりぎりに貴族と呼べるかもしれない階級で、普通の貴族と親しい関係を築いていた者たちだった」

 

平民の代表とは言っているがほとんどの人が法律の資格をもっており、階級的には貴族の下だったけれど裕福なブルジョア階級の人たちだったのです。

 

そしてアメリカで投票権を持っていた6%の人達とフランス革命を推進した平民の代表者との共通した考え方はメリトクラシー(能力主義)でした。

 

出自によらず能力により人間は判断されるべきだという考え方は近代という時代の中でかなり重要な思想を占めると思われますが、フランス革命でもアメリカの独立革命でもこの考え方はかなりの比重を占めると思われます。日本でも明治の時代にはやった立身出世がそうでしょう。

 

というのも、フランスのロベスピエール(弁護士)などは一般の大衆までを加えた革命を考えていましたが、彼の思想は結局無差別テロに終わり、アメリカの場合も南部の白人の資産である奴隷には手をつけられなかったからです。完全な平等は不可能であり能力のあるものが統治すべきだという考え方に収斂していったようです。

 

翻って日本の場合を考えると田沼意次のやろうとしていたことは、このメリトクラシー(能力主義)にあったのではないかと私は考えています。

 

だいたい彼自身が旗本の身分から老中まで出世したわけですから自分の能力にかなりの自信があったのでしょう。

 

さらに彼は出自に関係なく能力で人間を判断したので平賀源内や今回の大河ドラマの主人公である蔦屋十三郎が活躍できた場所があったのです。

 

しかし田沼意次のメリトクラシーは既存の武士エスタブリッシュメントにしてみれば恐怖でしかないわけです。

 

このままメリトクラシーを認めてしまえば、いずれ能力のあるものが政治をやるべきだという話になり、そうなれば幕府の意義など簡単に消失してしまうのではないか、と。

 

現にそれは1789年にフランスとアメリカで起きたことなのです。

 

そこで寛政の改革で老中になった松平定信は徹底的に田沼的なるものを弾圧することになり日本は寛政の改革から80年間さらに江戸時代を続けることになります。

 

ちなみに寛政の改革から明治維新までが80年、明治維新から日本の敗戦までが80年、敗戦からちょうど80年が今年の2025年なのです。つまりおよそ今から240年前に寛政の改革がはじまったのでした。

 

ただメリトクラシーの問題と江戸幕府の問題は寛政の改革以降も残り続けます。

 

戦前に活躍した外交ジャーナリスト清沢洌の『日本外交史』という本にイギリスの外交官であり医師であったチャールズ・ウインチェスターが明治維新直前に幕府へ次のように提言しています。

 

「代理公使ウィンチェスターの如きも、日本において中間階級の擡頭が必至のものと考へ、幕府の採用すべき政策として『封建貴族と半独立諸侯による同様な政治組織は、数世紀以前には仏国、英国にも存在してゐた。然し政府は常備軍の建設により、而して彼等の人民の商業と交通を制限することによつてではなく、中間階級の形成に助力を与へることによつて、彼等の地歩を贏ち得、而してそれを支持した』と欧洲史の示す事実を引用して、同じやうな政策をとることを勧告した」と書かれていた。

 

80年前に寛政の改革で弾圧したものを反省してもう一度田沼的なるものをやり直せという指摘だったのですが、江戸幕府はそれができていたら80年前にやっていたとこのありがたいアドバイスを拒否します。

 

その結果、江戸幕府はちょうど80年前にフランスのブルボン王朝が貴族より階級が下であった法律の資格を持つものによって終わりを迎えたように、生まれながらの武士である上士階級の下に存在する下士階級によって葬られることになったのです。

 

田沼意次も『べらぼう』の主人公である蔦屋十三郎も多才であった平賀源内も世界史的には最先端を行っていたものの、日本史的にはあまりにも早すぎた。

 

彼らが80年後の明治維新以降に生まれていたらおそらくはハッピー・エンドになったと思われるが、そうはならないのが辛い。