前回のブログでは現在のイランの体制が明治憲法下の日本の体制に似ており、それは元々ドイツ統一を成し遂げたビスマルクが発案したものだと指摘しました。

 

今回はビスマルク憲法の欠陥について考えてみたいと思います。

 

イギリスの歴史家であるドミニク・リーベン教授はロシアから見た第一次大戦を描いた名著『炎に向かって』でビスマルク憲法と明治憲法を比較した文章を書かれています。

 

それを簡単に要約すると、ビスマルク憲法は元首に巨大な権力を与えすぎていた。この憲法はドイツではビスマルク、日本では元老が生存している時はうまく機能した。ところが彼らが亡くなると政治の中心が空白になることは必然でその結果、外交、軍事、内政を調整することに失敗したことがドイツの1914年と日本の1941年の失敗を生んだと指摘しています。

 

私はこのリーベン教授の議論でビスマルクや元老がなくなり政治の中心が空白になり、軍部などの役所が勝手に行動して統一した国策が作れなくなったと指摘しているのは正しいと思う。

 

ただ前段の部分でリーベン教授が指摘した元首に巨大な力を与えたことが間違いではなく、議会と元首に中途半端に権力を分割したためにあのようになったと考えている。イギリスのように議会が完全な権力を握るか、または元首が独裁的に権力を握っていれば一本化した国策を作ることは可能だったのではないか。議会制と君主制を足して2で割るというのがそもそも無理だったのではいかというのが私の主張だ。

 

そして現在のイランにおいてもこのビスマルク憲法の欠陥が出てきているのではないかというのが懸念である。リーベン教授が言うようにビスマルク憲法はビスマルクや日本の元老が生存中はうまく機能した。おそらくイランでも革命を指導したホメイニが生存していた時はうまくいっていたかもしれないが、ホメイニがなくなりイランでも第一次大戦直前のドイツや第二次大戦直前の日本のような状態になっている可能性がうかがわれるのである。

 

それは、現在の元首である宗教指導者のハネメイ氏がイランの主要な軍隊である革命防衛隊をきちんと統制できているのかという問題である。

 

これに最初に私が気づいたのはアメリカでトランプ大統領が在任中の時のことだった。トランプ大統領はイランと結んでいた核合意を一方的に破棄したり、後には革命防衛隊のソレイマ二司令官を殺害したりしてイランとの関係はかなり悪化することになった。

 

そのような時に今は亡き日本の安倍総理がイランを訪問することになりイランの言い分も聞こうとロウハニ大統領だけではなく、宗教指導者であるハネメイ氏との会談もセッティングされていた。

 

ところがこの時に革命防衛隊の仕業と思われる、日本籍の2隻のタンカーがUAE沖で攻撃されるという事件が起きたのである。

 

安倍総理がロウハニ大統領だけと会談した時にこのような事件が起こってもロウハニ大統領に軍の指揮権がないので私は驚かないが、元首であるハネメイ氏との会談中に革命防衛隊がこんなことをしたらハネメイ氏の権威を傷つけることになり、逆にハネメイ氏がしっかりと軍を統制しているかどうか十分な疑問を抱かせるのだった。

 

今回ガザにおけるハマスの攻撃でこの戦争を拡大させたくはないアメリカが「アヤトラ」と名指しして革命防衛隊を抑えてくれるような言い方をしていたが、果たしてハネメイ氏にそのような力があるか現時点では不明である。

 

私としてはイランの革命防衛隊の暴走に対してアメリカが単純に反撃して、元首であるハネメイ氏を徐々に追い込んでいくようになることが心配だ。なぜなら第一次大戦のドイツも第二次大戦の日本もそのような形で先端を開いたからだ。