イスラエルのガザ地区で起こったハマスのテロ攻撃は一部ではハマスを陰で支えているイランとの戦争にまで結びつく可能性を指摘されています。さらに下手をすればアメリカを巻き込む中東発の第3次世界大戦が勃発するのではないかと心配する人もいるようです。

 

今回はこの問題を考えてみたいと思います。

 

私がイランの問題に興味を持つようになったのは、アメリカでオバマが大統領だった頃、イランのアハマニネジャド政権が核開発を加速させたことに対してかなりきつい経済制裁を課したことがあった時でした。

 

そのことに対して確か『ワシントン・ポスト』誌が戦前にアメリカが日本に課した経済制裁を彷彿とさせると書いていたことが印象的だったのを今でも覚えています。

 

そこで下手をするとまたアメリカとイランが戦争を始めるのではないかと私は危惧するようになり、イランについて調べてるようになったのです。

 

その結果分かったことはイランの体制が戦前の日本とよく似ていることだったのです。

 

イランには選挙で選ばれる議員から構成される議会があります。さらに大統領も選挙で選ばれるために側から見ると民主的なのですが、選挙で選ばれる大統領に軍隊(革命防衛隊)の指揮権がなく、指揮権は国のトップである宗教指導者が持っているのです。

 

イランにおいて選挙で選ばれる大統領にいわゆる「統帥権」が無いことも問題ですが、議会で多数派が通した法案などもそれがすぐに施行されることはなく、ガーディアン・カウンシル(護国評議会)という機関が賛成しなければ施行されないようなのです。

 

このガーディアン・カウンシルという機関は議会の代表と国のトップである宗教指導者が選ぶ人員から構成され、法案の審議だけではなく、議員や大統領候補の選別なども行なっているようです。

 

このようにイランの制度を見てみると、それは完全な民主制でもなく、かといって単純な独裁制でも無いという民主制と皇帝の制度を足して2で割ったような制度で戦前の日本と通じるものがあり、この憲法を最初に国家に適用したのはドイツの名宰相オットー・フォン・ビスマルクだったのです。

 

1867年というのは日本では大政奉還が行われた年で翌年が明治元年になるのですが、この年にプロイセンがオーストリアに勝利して北ドイツ連邦というものができるのですが、そこに適用されたのがこの憲法だったのです。

 

国際政治アナリストの伊藤貫さんが『歴史に残る外交3賢人』という本で次のように書かれています。

 

「1867年にビスマルクが起草した北ドイツ連邦憲法は、君主主義と民主主義の奇妙な混合であった。帝国議会は全国民(男子)が平等な投票権を持つ普通選挙によって選ばれたが、立法行為には、二五の北ドイツ諸侯国によって構成される連邦参議院の同意が必要であった。外交・軍事に関する指導権はプロイセン国王が握り、北ドイツ連邦首相もプロイセン国王が任命した。帝国議会の多数派は首相の提案する立法や財政に対して拒否権を行使することができたが、首相を解任する能力はなかった。この北ドイツ連邦憲法は、日本の明治憲法に大きな影響を与えた。」

 

イラン革命を指導したホメイニ氏がどうした理由からビスマルク憲法をイランに適用したのか私にはわかりませんが、この憲法が歴史的にアングロ・サクソン、特にアメリカと相性が良くなかったことは周知の通りです。

 

ビスマルク憲法を持つドイツとアメリカが戦ったのが第1次世界大戦。

 

同じくビスマルク憲法を持つ日本とアメリカが戦ったのが第2次世界大戦。

 

果たして現在においてビスマルク憲法を持つイランとアメリカが戦って第3次世界大戦を引き起こしてしまうのだろうか。

 

まじで心配です。