1、はじめに

 

ロシアがウクライナを攻撃したことは明らかに国際法に違反した予防戦争であり、ウクライナが行なっていることは自衛のための戦いだといえる。

 

ただロシアをそのような侵略行為に追い込んだ責任はアメリカ及びその同盟国にも私からみたらかなり存在すると思われるが、それを指摘するとロシアの侵略を相対化することにつながるとか、それはどっちもどっちだ論につながると厳しく批判されるのだ。

 

このような言論空間は日本だけのことではなく、この戦争のほとんど当事者であるアメリカでもそうなっているようだ。

 

最近読んだベンジャミン・アビロウという人が書いた『いかに西側がウクライナに戦争をもたらしたか』という本でもそのことについて触れていた。そこでアビロウはアメリカのこれまでの外交を批判する前に「西側を批判することで、私の目的は決してモスクワの侵略を正当化するつもりもロシアの指導者を許すつもりもない。」という定型句を入れなければならなかった。

 

シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授も『ナショナル・インタレスト』誌に掲載された文章の中で「これはプーチン大統領が戦争を始めたことを否定するものでは無く、ロシアの戦争指導については彼に責任がある。」と書いていた。

 

私はこれと似たような現象が過去にもあったことを思い出したので、まずそのことについて触れてみたい。

 

ロシアがウクライナを侵略した2022年からおよそ90年前の1931年に日本は中国の東北部である満州を占領した。いわゆる満州事変である。

 

この日本が行った行為は明らかにワシントン会議で決められた9カ国条約やケロッグ・ブリアン不戦条約という当時の国際法を違反しており、実際アメリカなどから厳しく批判された。

 

満州事変からしばらく経った1935年にアメリカの国務次官補であったスタンリー・ホーンベックはなぜワシントン会議が行われてから10年そこそこで東アジアがこのような緊張状態になった理由を突き止めようと、中国での勤務経験があるジョン・アントワープ・マクマリーという外交官に報告書を書かせた。

 

その報告書が現在の日本でも絶版にならないで原書房から出版されている『平和はいかに失われたか』というものである。当時のアメリカではちょうど現在のロシアに対するのと同じように国際法に違反した日本に対して厳しく、スティムソン国務長官は日本の満州事変に対しては「不承認政策」を適用していた。

 

ところがマクマリーの書いた報告書は、当時のアメリカの世論とは全く正反対で日本の満州における行動はそれ以前の中国国民党の行動とそれを支持していたアメリカの態度がもたらしたものだと現在シカゴ大学のミアシャイマー教授がロシアに対して言っていることとほとんど同じことを書いていたのだった。

 

「我々は日本が満州で実行し、そして中国のその他の地域において継続しようとしているような不快な侵略路線を支持したり、許容するものではない。しかし日本をそのような行動を駆り立てた動機をよく理解するならば、その大部分は、中国の国民党政府が仕掛けた結果であり、事実上中国が自ら求めた災いだと我々は解釈しなければならない。」(『平和はいかに失われたか』180ページ)

 

この仕事を依頼した日本嫌いのホーンベック次官補にとってマクマリーの結論は受け入れるものではなく、このメモランダムは国務省の書庫の中に保管されて日本との戦争が終わるまでそのままになってしまったのである。

 

2 ジョージ・ケナン

 

第二次大戦後にこのマクマリーが書いたメモランダムが再発見されることになったのだが、それに誰よりも貢献したのがアメリカの伝説的な外交官ジョージ・ケナンだった。

 

当時ケナンはモスクワのアメリカ大使館からソビエトの「封じ込め」を提案した長文の電報が認められてマーシャル国務長官のもとで初代の政策企画室長という重要な役割を担うこととなり、そこで中国問題に取り組むようになっていた。

 

ルーズベルト大統領の「四人の警察官」構想では日本が負けた戦後の東アジアにおいては国民党の中国が重責を担うはずだったのだが、国民党と共産党の内戦が激しくなり、国民党の存続が次第に危うくなってきたのだった。

 

そのような時にケナンはマクマリーのメモランダムを読んだらしい。ケナンは感激して感謝の手紙をマクマリーに送っている。

 

ケナンの努力はアメリカが1949年に発表した「中国白書」に結実するのだが、その中で中国の国民党を「腐敗」と「無能」と規定し、アメリカが国民党を見捨てることを正当化していた。

 

もしこのことをアメリカが戦前に気づいていれば、果たして中国を巡って日本とアメリカが戦争をしなければならなかったのか今でも私は疑問に思うのだった。

 

ケナンがマクマリーを有名にしたのは、彼が1950年にシカゴ大学で講演したものがまとめられて『アメリカ外交50年』という本になったのだが、その中でケナンは東アジア情勢について述べている箇所でマクマリーのメモランダムを引用したからだった。

 

未だ日中戦争が始まっていない昭和10年の時点でマクマリーは、このままアメリカが日本が中国に持っている正当な権利を無視し続ける外交を取り続ければいずれ日本と戦争になってしまうこと。その戦争にアメリカが勝ったとしても、その利益はソビエトが持っていってしまうだろうということを予想し、また、アメリカが中国を助けて日本を排除できたとしてもアメリカは中国に感謝されることはなく、逆にアメリカが中国の敵にされてしまうだろうという現在の米中関係を占うようなことまで書いていたのだった。

 

そしてケナンがシカゴ大学で講演を行なっていた時はちょうど朝鮮戦争が始まった年であり、マクマリーの予想がほとんど現実化してしまった感があった。

 

ケナンも『アメリカ外交50年』にこう書いている。

 

「アジアにおけるわれわれの過去の目標は、今日表面的にはほとんど達成されたことは皮肉な事実である。ついに日本は中国本土からも、満州および朝鮮からも駆逐された。これらの地域から日本を駆逐した結果は、まさに賢明にして現実的な人々が、終始われわれに警告した通りのこととなった。今日われわれは、ほとんど半世紀にわたって朝鮮および満州方面で日本が直面しかつ担ってきた問題と責任とを引き継いだのである。他国がそれを引き受けていた時には、われわれが大いに軽蔑した重荷を、今自ら負う羽目になり苦しんでいるのは、確かに意地の悪い天の配剤である。」

 

ジョージ・ケナンやアントワープ・マクマリーの外交思想は通常アメリカにおける現実主義(リアリズム)と呼ばれることが多い。

 

3 リアリストとNATO拡大

 

アメリカのルーズベルト政権はドイツのナチズムに対してその脅威を認識しそれを叩き潰さなければならないと考えて行動したことは正しかったのですが、共産主義に対する考え方が甘く政権内部に多くのソビエトのスパイが紛れ込み、スパイではなかったものの側近のハリー・ポプキンスなどはソビエトに援助することに条件をつけようとする正しい判断をしたアメリカ人をことごとく解雇し、レンド・リースというほとんど無償の援助によってソビエトは東欧に巨大な勢力圏を確保してしまうのでした。

 

その巨大化してしまったソ連邦に対して第二次大戦後のアメリカの上層部はどのような政策をとって良いかわからなくなってしまった時にケナンの長文の電報がワシントンに届いたのです。

 

その電報の内容を簡略化したものを後に『フォーリン・アフェアーズ』にケナンはXという匿名で投稿し、「アメリカの対ソ政策の主たる要素は、ソ連邦の膨張傾向に対する、長期の、辛抱強い、しかも確固として注意深い封じ込めでなければならないことは明瞭である」と書いたのでした。

 

その結果「政治的道具としての党が統一と有効性を破壊されたならば、ソヴィエト・ロシアは最も強力な国民社会の一つから、一夜にして最も弱い、最も憐れむべき国民社会の一つへと転落することになろう」とこの論文で予測したことはそれから50年経って実現して、ケナンが書いたこの部分はたくさんの評論家や知識人に引用されました。

 

もちろんケナンの主張した封じ込め政策は政治的なもので核兵器を何万発も作ってお互いに脅し合うという軍事的なものではなかったのですが、アメリカとソビエトはお互いの存在を認め合うことを確認して、相手を危険な立場に追い込むようなことはなかったのです。

 

1962年に起こったキューバ危機においても最後はアメリカがキューバを侵略しないこととトルコに置いていたミサイルを撤去することを条件にソビエトがキューバにミサイルを配備しない妥協が成立したのでした。

 

そしてソビエトが1991年に崩壊したことで世界の人々がようやく核の恐怖から部分的に解放されこれから平和が実現されていくだろうと思われた矢先に突然NATOの拡大問題が出てきてこれに激しく反対したのが当時90歳を超えていたケナンだったのです。

 

ケナンは1997年2月5日の『ニューヨーク・タイムズ』に「致命的な間違い」というタイトルの意見記事を書き、その中で「冷戦が終わったことで希望を持てる可能性が出てきたのに一体なぜ東西関係は誰と誰が同盟して誰に対して全く予期することができず最もあり得ない将来の軍事紛争に備えることを話題の中心にしなくてはならないのだろうか。」と嘆いたのでした。

 

NATO拡大によってケナンが懸念していたのは次のような事柄でした。

 

・国粋主義的で反西洋主義的で軍国主義的なロシアの意見を燃え立たせるかもしれない。

 

・ロシアの民主主義の発展を後戻りさせるかもしれない。

 

・冷戦時代の東西関係の雰囲気に戻すかもしれない。そしてロシアの外交を我々が好まない方向へ押しやるかもしれない。

 

・ロシアの議会でSTART2が批准されなくて、これ以上の核軍縮が不可能になるとは言えないが厳しくなっていくだろう。

 

この時点でケナンはNATOの拡大が戦争に結びついていくとは考えていなかったようですが、米露関係の先行きは決して楽観視してはいなかったようです。

 

そして2014年にロシアがクリミアをウクライナから奪った後のことですが、冒頭に紹介したベンジャミン・アビロウの『いかに西側は戦争をウクライナに持ち込んだか』という本の中で現在のアメリカにおける「リアリズム」の権威であるシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は公的な場所で次のように語ったようです。

 

 「もしも西側がこのままウクライナを軍事的、政治的、経済的に統合することをやめなければ、ロシア人達は自国の安全を守るために軍事的な行動をとらなければならなくなるだろう。それにはウクライナを方程式から除外するためにウクライナを破壊することも含まれる。」

 

ウクライナをNATOに入れることにオバマ大統領時代に熱心だったバイデン氏が大統領となった矢先の2022年2月24日にとうとうミアシャイマー教授の予言通りにプーチン大統領のロシアはウクライナに対する侵略を開始したのでした。

 

4 結論

 

これまで見てきたように、アントワープ・マクマリー、ジョージ・ケナン、ジョン・ミアシャイマーといったアメリカのリアリスト達は日本の満州事変ぐらいからわりと正確に将来を予測していたのですが、彼らの予測が現実のものとなると称賛を浴びるどころか、侵略者を利する行為だと非難されてしまうのです。

 

それでもしばらく時間が経ってみると彼らの言っていたことの正しさが認識されるようになり、なぜリアリスト達の政策を実行することができなかったのだろうと必ず自省する機会が訪れるのです。

 

おそらく今回もそうなると私は確信しています。国際法に離反した侵略行為を行ったロシアに対しては厳しい未来が待っているはずでしょうが、ロシアをそのような行為に及ばせたアメリカをはじめ西側が無傷で過ごせるとは到底思えないからです。

 

そうなった時にやはりケナンやミアシャイマーのいうことを聞いておけばよかったと我々は認識するのでしょう。