ダロン・アセモグルとジェイムス・ロビンソンが書いた『国家はなぜ衰退するのか』を読み終わったので感想を書いてみます。
著者らは国家が継続的に発展するためには、その国家がどのような場所にあるのかという地理的な要素やどのような気候状態におかれている天候的な要素ではなく、その国家がどのような制度を持っているのかに注目して議論を展開しています。
その国が持っている経済制度や国家の仕組みが「包括的」なものか、それとも「収奪的」な制度に区分けしているのです。
「包括的な政治・経済制度と繁栄のつながりだ。所有権を強化し、平等な機会を創出し、新たなテクノロジーとスキルへの投資を促す包括的経済制度は、収奪的制度よりも経済成長につながりやすい。収奪的制度は多数の持つ資源を少数が搾り取る構造で、所有権を保護しないし、経済活動へのインセンティヴも与えない。」
このような観点で、およそ全世界の場所や過去に栄えた文明を取り上げながらそれらの国が持つ制度を調べています。
例えば、スペインが大航海時代に南米のインカ帝国を滅ぼした際には、土着の人たちを安い労働力として使うことばかりを考えていた「収奪的」な制度だったために、その繁栄は長続きすることはなく同様な制度を使っていた西洋諸国が東南アジアで行っていたプランテーション農業なども継続的な発展を支えることにはならなかったのです。
過去には「包括的」な制度を持つ中世のイタリアの都市国家の例もありました。当時のイタリアの発展は素晴らしいもので、従来の貴族たちとは違う層が経済的に上昇してきた様子も見せたのでした。ところがやはり最後はこの人たちも従来の権力者に潰されてその発展は持続しなかったようです。
継続的に成長する可能性が出てきたのは、近代に入ってからで、まずはイギリスで1688年に起こった名誉革命で一般庶民の財産権や特許権が尊重されるようになりました。その結果として世界で初めてイギリスで産業革命が起こりそれまでとは違う継続的な経済成長が起こるようになったのです。
このイギリスで起こった革命的な出来事は、同じアングロ・サクソンであるアメリカ、カナダ、オーストラリアにも引き継がれることになります。
またヨーロッパ大陸においては1789年に起こったフランス革命で「包括的」な制度が導入されることになり、それから起こったナポレオン戦争によってヨーロッパ中に「包括」的な精度が広がっていくきっかけになったのでした。
またアジアにおいても1868年に日本で起こった明治維新によって「包括的」な制度が導入され継続的な経済成長につながっていったことを著者たちは記しています。
では現在アメリカに次いで経済が大きくなった中国に対して著者たちはどう考えているのでしょう。
彼らは「収奪的」な経済制度でも全く経済が成長しないとは考えていなく、開発独裁の例を見ても分かるようにある程度の成長は可能と考えているのですが、長期的にはその成長を安定的に維持することはできないと考えているようです。
そして現在の中国の経済発展は決して中国の制度が「包括的」だから成功したのではなく、「収奪的」な制度でも経済的に有能な鄧小平が指導者になっで起きた一時的な成長と考えているようです。
この本が書かれたのは2012年でちょうど習近平氏が中国のトップになった時ですが、習近平は早速にアリババを率いるジャック・マーや他の起業家をあまりよくわからない理由で弾圧したりして、財産権などがしっかり確立していない中国の不安定さをこの本の予想通りに裏書きしています。
この本は、そんなに緻密な論理展開をしているというわけではありませんが、逆に大雑把であるが故にクリアーで将来を考える上ですごく参考になる本だと思います。