今回のウクライナ戦争においてロシアが完全に国際法に違反している予防戦争を行ったことに対しては本当に腹が立ったので、ウクライナを応援するために早速ウクライナ大使館が設定した口座に募金してしまった。
だが少したって冷静に考えると、このような状態になってしまったことに対してアメリカを筆頭とする西側に全く責任がなかったかといえばそうでもないので、今回気になったことを書いておく。
まず最初に取り上げなければならないのは、NATOの拡大についてである。アメリカの封じ込め政策の基礎を作った外交官のジョージ・ケナンや現実主義学派のジョン・ミアシャイマー教授は一貫して反対していたし、私も彼らの言い分は正しいと思っていた。
そもそもNATOは軍事同盟で、同盟というものはキッシンジャーが指摘するように「仮想敵」の存在を前提とする。仮想敵を想定しない集団安全保障とは正反対の概念である。当然NATOの仮想敵はソ連であったし、逆にワルシャワ条約機構の仮想敵はアメリカを筆頭とする西側だった。
ソビエト連邦が崩壊して冷戦が終了するとワルシャワ条約機構は無くなってしまった。当然ソ連の存在を前提としているNATOに意義はあるのかと、パット・ブキャナンなどのアメリカの孤立主義者やジーン・カークパトリック女史といった初代のネオコンたちは問いかけていた。
このような問いかけに対して、父ブッシュ大統領は統一ドイツの受け皿としてNATOに組み入れることを考えており、ヨーロッパにおけるドイツ問題の重要性を鑑みるに仕方ない処置かなと当時の私は考えていた。
ところがクリントン大統領の時代からNATOの東欧諸国への拡大が始まり、その時は経済の立て直しに大変だったロシアの言い分をほとんど聞かずに旧ワルシャワ条約機構からの乗り換えが進んでいった。
いくらNATOがロシアを標的にしていないと言っても、軍事同盟は必然的に仮想敵の存在を想定するものだし、加盟してくる東欧諸国の目的はロシアに対する安全保障だった。
逆にロシアから見ればアメリカの勢力圏がますます自分達の国境に進んでくる不気味な様相を感じ取っただろう。
私はNATOの拡大だけが今回の戦争を導いたものとは思っていないが、キッシンジャーや他のアメリカのリアリストが以前からウクライナをロシアから引き離す戦略の危険性を指摘しており、ウクライナの中立化をもっと真剣に考慮していれば、ロシアに戦争の口実を与えないという意味でもよかったと思っている。
結局、最後までウクライナの中立化を模索する動きは現アメリカの政策担当者からは見られなかった。
つい最近私は戦前に活躍したジャーナリストの清沢冽の『日本外交史』という本を読み終わったのだが、この本の中で彼が日英同盟について書いている部分で今回の問題意識に通じる点があったので少し引用してみたい。
日英同盟はイギリスと日本が共通の脅威としていたロシアと対抗するためのもので、日本がロシアと戦争する際にはかなり助けになり日本は強敵ロシアに勝利することができた。
日本が日露戦争に勝利したことでロシアからの脅威は軽減したために日英同盟を存続する意義は減ったものの、日本も英国もそれを廃棄しようとはしなかった。
だが日英同盟の存続に懸念を持つ国が数カ国あり、その代表がアメリカだった。日本と英国の仮想敵が万が一にもアメリカになってしまったら、その同盟によって大西洋と太平洋から排撃される可能性をアメリカは恐れたのだった。
アメリカがあまりに日英同盟に対して嫌がるので、米国に対して日英同盟は適用されないと明記したのが明治44年の第3回目の改訂の内容だった。
これでもアメリカは満足せず、ワシントン会議の時に英国全権のバルフォアは、アメリカのヒューズ国務長官に対して日英同盟にアメリカを加えることまで提案したのだった。
それでもアメリカは納得せず、結果的にワシントン会議で日英同盟を潰してしまったのだった。
この経過を見ていて興味深かったのは、アメリカがNATOに関してロシアに言っていることとほとんど同じことを日本と英国がアメリカに主張し、アメリカが全然納得していないことだった。
NATOは決してロシアを敵として扱うつもりはないとというのはアメリカが一貫して主張していたことだったし、ロシアをNATOに入れるというのはプーチン大統領も口走ったことがあった。
アメリカがほとんど関係がない日英同盟に対してこれだけ嫌がったのに、ロシアがNATOの拡大に素直に応じると考えるのは、あまりにも想像力が欠けていたように私には感じられる。
だからロシアとウクライナが戦争になるきっかけを作った責任の何割かはやはりNATOの拡大にあると言っても間違いではないのだろう。