先日大阪北新地で起こった診療所を放火して25人の被害者を出した事件は、犯人も死亡してしまったために何が原因なのかもわからないままになってしまいそうだ。

 

最近このような犯罪が頻発しているように思われるので、いつこのような犯罪の被害に出くわすか安心して暮らすことができないような感じがします。

 

そこで今回はどうしてこのような事件が頻発するようになってきたのか、またこのような事件はどのようにしたら無くすことができるのかを考察してみたい。

 

精神科医の片田珠美さんによると北新地で起こった事件は典型的な「拡大自殺」によるもだとしている。

 

拡大自殺とは精神医学的用語で人生に絶望した人が、そのような境遇に至ったのは自分のせいではなく他人や社会のせいであると考えて何の関係もない人々を巻き添えで殺すことと定義されている。

 

このような事件は片田さんが指摘しているように2001年の池田小事件から頻発するようになっていった.

 

池田小事件で逮捕された宅間守・元死刑囚(当時37歳)は「何もかも嫌になった。自殺しようと思ったが、死にきれなかった。死刑にしてほしい」と語っているが、この時から死刑にしてほしいから知らない人を殺すというあまりに理不尽な事件が続いているのである。

 

ただ私が不思議に思うのは、なぜこのような事件が戦後しばらくの間起きることがなく、突然2001年から発生したかということである。

 

さらに不思議なのは、片田さんが指摘する「拡大自殺」型の事件は戦前にも何件か存在したことです。

 

戦前で一番有名なのは日本を代表するミステリー作家の横溝正史の『八つ墓村』がモデルにしたと言われる昭和13年に起きた津山事件というものがあります。

 

この事件は岡山県の津山市で犯人が30人もの人を死亡させ、後に本人も自殺してしまうという事件でした。

 

横溝正史が取り上げたぐらいですから、この事件がこういう事件の最初に起こったもののように考えがちですが、実はそれ以前に津山事件と似たような事件が起こっていたのです。

 

それが1926年に起きた鬼熊事件と呼ばれるもので、自分の愛人を含む4人を殺害した後に本人も自殺しており、規模は小さいものの津山事件と似たような経過を辿っているのです。

 

おそらくこの事件が日本で最初の「拡大自殺」型の事件ではなかったかと私は考えています。

 

つまり、拡大自殺と思われる事件は、1926年に最初に発生し、それを拡大させたような津山事件が1938年に発生したわけですが、日本が敗戦を迎えた後においては2001年の池田小事件が起きるまではそのような事件は発生していなかったのです。

 

ところが、2001年の池田小事件からは拡大自殺と思われる事件は大なり小なりもう数え切れないぐらい起こっています。

 

思いつくだけでも、2008年の秋葉原通り魔事件、2019年の川崎市で起こったカリタス小事件、そして今回の大阪北新地放火事件です。

 

私は2019年に起こった京都アニメーション放火事件も当てはまると思っていましたが、片田さんによればこの事件は犯人が逃げ出そうとしているので拡大自殺には当てはまらないという。

 

このような事件が現在多発する理由について、多くの識者は経済問題を挙げています。長引く日本経済の低迷と格差拡大がこのような事件の背景にあるのだ、と。

 

この説は私もかなり納得するものがあります。現在の事件だけではなく戦前の事件もそうでした。

 

1926年に起こった鬼熊事件は若槻内閣の時代に起こっています。翌年から昭和金融恐慌が始まる時なので、経済的に安定している時代とは決して言えなかった。

 

昭和13年に起こった津山事件の時の総理は近衛文麿で前年の昭和12年から日中戦争が始まっている。

 

それから日本は戦争に負けて戦後に入るのだが、高度成長期やバブル期において拡大自殺型の犯罪が姿を消すようになった。

 

ところが、前にも書いたように突然2001年の小泉政権の時に池田小の事件が発生したのだった。

 

ちなみに2008年の秋葉原事件は麻生政権、2019年のカリタス小事件は安倍政権、そして今回の北新地放火事件は岸田政権と続いていくのだった。

 

やはり戦前、戦後を通して日本の経済問題が悪化してくるとこのような事件が多発するようなので、1日も早くデフレ経済から脱却することが求められている。

 

それにしてもなぜ拡大自殺型の犯罪は敗戦の1945年から2001年まで発生しなかったのだろうか。

 

いくら高度成長の時代と言っても経済的に苦しむ人はたくさんいたはずである。その人たちが社会を恨んでもおかしくないはずだった。

 

片田珠美さんによれば自殺には「自分を責める傾向が強ければ単独自殺、何でも他人のせいにする人は拡大自殺に向かう」と2つのパターンが存在しているという。

 

つまり戦後から2001年にかけて拡大自殺を思わせる事件がなかったのは、それまでは自分の境遇がいかに悲惨であろうと基本的には社会のせいにすることはなく自分を責めて単独自殺していったと考えられる。

 

ところが2001年の池田小事件から自分の境遇が悪いのは自分のせいではなくて社会のせいと考えるような人が多くなってきているのだ。

 

なぜこのような変化が現れたのだろう。

 

1990年代の初頭にバブルが弾けてから、日本では「自己責任」を求める風潮が急激に強まっていったと思われる。

 

この頃政治の中心だった小沢一郎は1993年に『日本改造計画』という本を書いた。

 

この本の中で彼はアメリカのグランド・キャニオンで危険なところに日本のような注意を喚起する看板がないことを指摘していたが、それが日本での自己責任を強調する最初だったと思う。

 

政治や社会が個人に対して自己責任を求めていくと、当然それに反発する人も出てくるわけで、基本的に反社会的である犯罪者はこの自己責任論を徹底して否定し、無差別に何の関係もない人を殺し始めたのではないか?

 

日本の高度成長期やバブル期においては社会において自己責任はそれほど強調されていなかったから、その時代に自殺しようと考えた人は基本的に一人で死んでいったのであろう。

 

つまり国家や社会が個人に自己責任を追求すれば追求するほど、世の中に不平を持つ人や犯罪者はその考えを否定して自分の境遇を社会のせいにしてしまうのである。

 

完全に悪循環である。

 

恐ろしいことに、この文章を書いている途中に17歳の高校生までもが勉強ができないのは社会のせいと全く関係のない受験生を刺すという事件が起こってしまいました。

 

このような犯罪を無くすためには、まず一刻もデフレ経済を直してまともに経済が成長するようにして、全てを自己責任とする社会の風潮を変えなくてはならない。

 

ただ発足したばかりの岸田政権を見ていると、現在の自民党政権にそれが本当に可能なのかと考えてしまう。

 

戦前に拡大自殺にあたる事件は、日本が戦争に負けて体制が変わったことで無くなった経緯があるので、今回も日本のレジーム・チェンジ(体制転換であって決して政権交代ではない)が必要かもしれない。

 

はっきり言って自民党が中心の政治では、このような事件を防ぐことができない可能性があるのだ。