ソビエト封じ込め政策の基礎を作ったとされるアメリカの有名な外交官であるジョージ・ケナンは公的な最後の仕事として駐ユーゴスラビア大使を務めました。

 

当時のユーゴスラビアの指導者はあのチトー大統領であり、彼は社会主義を標榜しながらもソビエトには従属しないという独特な外交を展開していました。

 

ケナンは自身の回顧録の中でチトー大統領と互いに体制は違うものの双方がリスペクトして個人的にも有意義な関係を築けたことを書いています。

 

そこで常識的に考えるなら、米ソ冷戦下でのアメリカのユーゴスラビアに対する外交はチトーが進めるソビエトからの独立を目指す傾向を促進させるようにすることが合理的ではなかったかと私は思うのです。

 

ところが現実に起きたことはこれとは全く正反対で、アメリカの議会はユーゴスラビアに対する援助を停止させたり、貿易条件を厳しくしたりしてユーゴスラビアをなぜかソビエトの方に近づけさせるような政策をケナン大使に押し付けてくるのでした。

 

ケナンは回顧録に次のように書いています。

 

「一見したところ、異常に思えるのだが、共産圏に属さず、中立政策をとり、我々との2国間関係ではモスクワ支配下のどの共産主義国よりも我々を寛大さと友好的態度で扱っている国に対する感情が、モスクワ支配下の諸国よりもアメリカ議会内で一層大きな敵意に直面していたのである。」

 

なぜこのような異常な事態に陥ったのでしょうか?

 

ケナンはすでに犯人を見つけていました。

 

「とくにクロアチア系アメリカ人は、例外であるどころか、逆に際立った例を提示していた。彼らがローマ・カトリック教会の一部の聖職者を通じて大きな影響力を奮っているのは間違いなかった。」

 

つまりクロアチア系アメリカ人が議会に働きかけて、セルビアが中心になっているユーゴスラビアとアメリカを仲違いにして、できれば「われわれ(アメリカ)がユーゴスラビアとの戦争に巻き込まれるようになるのをむしろ望んでいた。」というのです。

 

ケナンの回顧録にはこのような現象に名称をつけていませんが、この場合で言えばクロアチア・ロビーと呼ぶのが適当だと私は思います。

 

アメリカのような移民国家でなおかつ民主主義の形態をとっている場合、有力な民族が過度に議会などで影響力を発揮してアメリカの外交を歪めてしまう場合が多々起きるのです。