上記の図は日本の「文明曲線」を表したものです。1945年を中心にして放物線が2つ連なるようになっています。黒点は2021年現在を示す。

 

そしてこの図は80年の周期ごとに放物線が繰り返されるようになっています。

 

1945年は日本が第2次世界大戦に負けた年で、そこが起点となります。1945年から80年前の1865年は日本が明治維新を遂行している時期です。便宜上1865年を明治維新の年に設定していますが、大政奉還が1867年で明治元年が1868年なのでそれほど不都合が生じるとは思いません。

 

明治維新では、治外法権があったり関税自主権が持てなかったりして苦難の出発を迎えることになりますが、ここから日本の文明曲線は上昇局面に入ります。そして1865年から40年後の頂点にあたる1905年は日本が日露戦争に勝利した年になるのです。

 

司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』に描かれている世界が1865年から1905年の文明曲線を見事に描写したものになります。

 

しかしながらこの上昇傾向は持続せず、下降局面に入ります。日本は外交的に機会主義的に振る舞い、あげく孤立化し、最後は1945年を迎えてしまうのです。下降局面を途中で反転させることはできませんでした。

 

1945年で日本は焼け野原になってしまいましたが、そこから長期間停滞することはなく、新たな文明曲線の上昇期に突入します。今度は高度経済成長路線が国民のコンセンサスになりました。

 

そして1945年から40年後の1985年はちょうどプラザ合意が行われた年で、アメリカの貿易収支の赤字額を改善しようと日本が円高を容認し、何と一年で1ドル235円から150円まで円の価値が跳ね上がることとなりました。

 

逆に言えば、この一年で日本の経済規模はドルの価値から見れば1.6倍にもなってしまったわけです。このプラザ合意で日本は世界から経済大国として一目置かれる存在となったのでした。

 

そしてプラザ合意の時期は日本が戦前に日露戦争の勝利によって軍事大国として世界から認められた1905年からちょうど80年、敗戦からちょうど40年経過したときの出来事だったのです。

 

ところが今回も日本の絶頂期は長続きしませんでした。円高不況を恐れ金利を低く据え置いたためにバブルが発生し、それがはじけてしまいます。

 

またバブルが弾けた後も処理を誤りデフレを招き、未だにそこから抜けきれていないのが現在の2021年の日本の現実で、次の谷間の2025年に向かって低下し続けているのです。

 

このように80年周期の放物線で日本の近代史を表してみると割と収まりが良いことに私は驚いています。

 

さて、今回はこの文明曲線を使って、ある犯罪との関係を見ていきたいと思います。

 

先の8月6日に自分の人生に絶望した容疑者が小田急線で全く関係のない女性を刺して大怪我を負わせる事件が起きました。

 

最近、このような事件があまりにも多いのが気になって調べてみました。

 

精神科医の片田珠美さんは「人生に絶望し、うまくいかないのは他人のせいだと復讐(ふくしゅう)願望を募らせ道連れにする」ことを「拡大自殺」と呼んでいます。

 

今回の小田急線の事件は犯人が自殺していないのでこれに当てはまるかどうかは分かりませんが、動機は似ています。

 

そしてこのような理不尽な事件が最近多発しているのです。

 

思いつくだけでも、2019年川崎市多摩区で起きたカリタス小で児童が20人殺傷された事件(犯人は自殺)、2008年の秋葉原通り魔殺人事件、2019年の京都アニメーション放火殺人事件もこれに当てはまるかもしれません。

 

このような事件が最近頻繁に起こるので戦後もこのような事件がコンスタントに起こっていたのではと思いがちですが、そのようなことはなく私の記憶では2001年の池田小学校の無差別殺人事件が戦後では最初だったような気がします。

 

一方、戦前にはこれらとにたような事件が存在しています。一番有名なのが横溝正史の小説『八つ墓村』のモデルになった1938年に岡山県津山市で起きた「津山30人殺し」がそれです。

 

ただこの事件も戦前においてこの種の事件の最初ではなく、戦前に最初に起きたのは1926年の鬼熊事件だったそうです。

 

この鬼熊事件というのは岩熊という犯人と恋仲だった女性が他人の男性と交際していることを犯人が知り、その男性を殺害。さらに恋人の女性とその女性が住み込んでいた家主も殺害し、さらに警察官も殺害、最後は自殺したそうです。

 

この事件は今から見ればそんなに衝撃を受けないのですが、犯罪史でかなり有名なのはこの事件が日本における最初の「拡大自殺」だったからでしょう。

 

これらの事件を日本の「文明曲線」にプロットしたら、明らかになることがあります。

 

日本で最初の「拡大自殺」である鬼熊事件が起こったのは1926年(大正15年)で日露戦争に勝利した1905年という戦前の頂点から下降してから20年後に起こり、津山事件は昭和13年に起こっています。

 

津山事件の前年の昭和12年から日中戦争が始まり、津山事件の7年後に敗戦を迎えるのです。

 

ところが戦後の高度成長期にはこの種の事件が起こったことこを私は聞いたり読んだりしたことはありません。

 

私は横溝正史が原作の映画を見るのが好きで映画「八つ墓村」も数回見ましたが、ある種の恐怖感と共にどこかパロディー的な感覚で見ていました。おそらくは戦前の特殊な事件を描いたもので現実ではあり得ないだろうと考えていたのですが、今ではそんな風には決して思えません。

 

戦後には起こっていなかった鬼熊事件や津山事件と似た無慈悲な無差別殺人事件が2001年の池田小学校事件以来頻発するようになるのです。

 

2001年といえば戦後の頂点であったプラザ合意から15年後、橋本政権が消費税を上げて日本をデフレに突き落としてから3年後の出来事でした。

 

すなわち「拡大自殺」型の事件は「定期的」に起こるのではなく、「ランダム」に起こるのでもなく、「周期的」に起きているようなのです。

 

もしこの仮説が正しければ、現在の文明曲線下降期においてはこの種の事件が続いていく可能性があるので、まだ当分注意が必要になると思われます。

 

しかし、高度成長期にはこの種の事件がなかったことに鑑みると、次の文明曲線の上昇期に入ればまたピタリと止まる可能性があるのかもしれません。

 

そうであればいいのですが。