表現者5月号を購入して少しずつ読んでいます。今月号の特集は「中華未来主義」についての考察でした。

 

中華未来主義とはどいういう概念かは、この号で評論家の佐藤健二さんが簡潔に要約されているので、その要旨を引用させていただきます。

 

1、中国は共産党の支配のもと、自由や人権については制約をくわえている。しかし経済についてはそのかぎりではない。

 

2、自由や民主の無い経済成長はいずれ行き詰まるものとは考えられていたが、現実にはそうならなかった。

 

3、自由や民主を抑圧していた中国が発展を謳歌していたのに、逆に民主主義を大切にしていた西側先進国は自由や人権に対するこだわりが技術の発展を阻害することとなり社会は停滞してしまった。

 

4、よってこれからの時代は自由や人権を制約することが可能な中国が未来への発展の鍵を握るのだ。

 

簡単に書くとこのような感じになるのですが、私はこれを読んでこの議論はこれまでの日本やアメリカが主張していた中国に関する考え方を単に逆転させただけの反省無き暴論にしか思えませんでした。

 

日本やアメリカで1990年を過ぎたくらいですが、中国に対する二つの考え方がはっきりしてきました。

 

一つは保守派の考え方で、1991年にあれだけ強大だったソビエト連邦が簡単に崩壊してしまったことで次は中国共産党の番ではないかと中国がソビエトのようになることを期待したのでした。

 

この考え方を代表していたのが中国系アメリカ人のゴードン・チャンが2001年に書いた『やがて中国の崩壊が始まる』という本でした。

 

日本でも故・長谷川慶太郎氏が積極的に中国崩壊論を唱えていたのですが、それは彼の生前中に実現しませんでした。

 

この中国崩壊論については最近英文の記事で「中国崩壊論の崩壊」と揶揄されるようになってしまい、なぜか現在では中国崩壊論を唱えることに抵抗を覚える言論状況にまで達したのです。

 

さてもう一つの中国に関する考え方はアメリカや日本のリベラル派が主導したもので、日本やアメリカが中国の経済発展を手助けすれば、いずれ中国で増大する中産階級が中国の民主化を求めてそれが実現するだろうという期待でした。

 

現在WTOなどで中国が国内産業を保護するために発展途上国の立場を取ることに批判が集まるのですが、そもそもクリントン大統領の時代にリベラルな中国論が適用されて大甘な条件でWTOに入会させたことに原因があるのです。

 

日本とアメリカが中国の経済発展に協力することで中国は日本を抜き、アメリカに次ぐ経済大国になったのですが、肝心の民主化の方はかなり後退してしまい、習近平国家主席はそれまで集団指導体制だったものを毛沢東以来の独裁制に変貌させてしまったのです。

 

つまり保守派の中国論もリベラル派の中国論も間違っていたのです。

 

だから本来はなぜ間違えたのか真摯な立場で検討すべきだったのですが、マイケル・ピルズベリーが『百年戦争』を書いたぐらいで他の人々は何の反省をすることもなく、「中華未来主義」というこれまで言っていたことと正反対のことを推奨するというあるまじき行為を行なっているのです。

 

これまで中国崩壊論を唱えていた人々が逆に西側の崩壊を嘆くようになり、あれだけ重要視していた人権や自由が経済成長や科学技術の発展を阻害するものと考えられるようになってしまったのです。

 

一体日本やアメリカの中国論はどこが間違っていたのでしょうか?

 

続く。