日本における80年周期の波も明治維新、敗戦と続き、いよいよ次の転機を迎える時がきそうなので、どのような時代が来るのかを予想するためにも少しだけ過去を振り返っておこうと思います。

 

ペリーの黒船来航から始まった明治維新ですが、当時のアメリカは一体何を日本に求めてきたのでしょう?

 

歴史家の渡辺惣樹さんはその著書『日本開国』で「日本遠征計画はあくまでも拡大するアメリカの将来にとって重要な東アジア、とりわけ支那大陸との交易を確保すること」と書かれています。

 

アメリカが中国とそんなに貿易がしたいのなら日本に対して強引に開国を迫る必要などなかったのではという疑問が湧いてきますが、その理由をアメリカの作家ジェームズ・ブラッドリー(クリント・イーストウッドの硫黄島の映画の原作者)は『チャイナ・ミラージュ』という本の中で次のように書いています。

 

「アメリカの石炭で動く蒸気船はサンフランシスコからハワイまで燃料交換をせずに航海できたが、ハワイから上海までは無理だった。」

 

アメリカが中国と貿易をするためには石炭補給の中継地にどうしても日本の開国が必要だったのです。そしてペリーの黒船による開国はそれまで200年以上続いていた江戸幕府を崩壊させる衝撃を日本にもたらしたのでした。

 

これから80年後に日本はアメリカと戦って敗れ、占領されることになるわけですが、日本と戦ったルーズベルト大統領は日本をどのようにしようと考えていたのでしょうか?

 

歴史家の故・鳥居民さんは『昭和史を読み解く』という本の中で「日本を明治以前の領土に戻す、中国を大国にする、これが50年前にルーズベルトの考えていた遠大な構想だった。」と書いておられます。

 

ここで注意すべきなのはペリーの黒船の時代と比べてアメリカの日本に対する政策が一貫したものではなくそのベクトルが正反対に向かっていることです。

 

この政策の矛盾を東京裁判の酒田法廷で日本側の証人として出廷し検察側に対して発言したのが石原莞爾将軍で、シカゴ大学のミアシャイマー教授の代表作である『大国政治の悲劇』にそれがかなりの長さで引用されていたので、その部分を翻訳してみました。

 

「あんた、ペリーていう人聞いたことないの?あんた、アメリカの歴史何も知らないの?徳川の日本は孤立を崇拝してたの。他の国との関わりは徹底的に避けられ、自分とこのドアにはガッチリと鍵をかけていたわけ。そこにあんたの国から日本の鍵をこじ開けるために黒船でペリーがやってきたの。彼は巨大な大砲を日本に向けてこう警告したの『あなたが私をちゃんと扱わないのなら、この大砲をしっかりと見なさい。そしてドアを開いてあなた達も他の国と交渉しなさい』そこで日本が国を開いて他の国と交渉を始めたら、他の国も恐ろしいくらい攻撃的であることがわかったの。日本はそんな国からちゃんと防御するためにアメリカを師としていかに攻撃的になれるかを学んだというわけ。日本はアメリカの弟子とも言えるわけなの。なぜあなたはあの世からペリーを召喚して戦争裁判で裁かないの?」

 

続く。