先日ケネス・ポラックがイランにおいて、強硬派と穏健派が存在し、アメリカの立場はイランの穏健派の立場を強めるものでなければならないという意見を書きましたが、今回はそれに真っ向から反対しているエリ・レイクというブルーンバーグのコラムニストの意見を紹介しようと思います。
彼は、はっきりとは書きませんが、内心ではすぐにでもイランを爆撃したいのではないかと思われるような文章を多量に書いています。その彼が、イランにおいて強硬派と穏健派を分けることに意味はほとんどなく、みんな強硬派と目的は一致しているのだと強調しています。
「あなたはしばしば、イランにおいて『穏健派』や『改革派』の意味は西側での使い方とはかなり異なるという警告を受けたことがあるだろう。それにもかかわらず、その言葉はワシントンの外交エスタブリッシュメントの夢の追求の基本となっているものだ。『あなたがイランの体制を尊重して扱ったら、それは改革派を支持することになるのだ』と。」
果たしてイランの中で、穏健派と強硬派の対立は本当に存在するのでしょうか?
70年前の日本に関する議論もこれとほとんど同じことが行われていました。
前回のイギリスのクレーギー駐日大使が日本の穏健派の立場を強めなければならないと主張したことを紹介しましたが、これはアメリカの駐日大使、ジョセフ・グルーの立場と同じものでした。
これに真っ向から対立するものが、駐日大使館員のジョージ・サンソムでした。
「サンソムは日本での長い経験から穏健派なるものが存在していたとしても、急進派とはその手段を異にするだけで目的は同じであるとし、しかも穏健派なるものは規模も小さく政策的な影響力もないとした。この見解は、イギリス外務省の極東部にもアメリカ国務省の極東担当顧問のスタンレー・ホーンベックにも共有されている考えであった。」
『大英帝国の親日派』アントニー・ベスト77ページ
つまりイランに対するケネス・ポラックとエリ・レイクの対立は戦前の日本に対するイギリスでのロバート・クレーギーとジョージ・サンソムやアメリカでのジョセフ・グルーとスタンレー・ホーンベックの意見の対立とほとんど同じものだったのです。
これはどちらかが正しかったかは明らかで、戦後アメリカが日本を占領している時代に首相に選んだのは幣原喜重郎や吉田茂といった戦前に穏健派の代表と呼ばれる人達でした。
だから戦前の日本と同じような構造を持つ現代のイランが強硬派と穏健派に分かれて激しく対立していても不思議ではないのです。
オバマ大統領はイランと核合意を結ぶという戦前の対日政策で言えばジョセフ・グルー路線を追求したのですが、トランプ政権は核合意から離脱し、穏健派のザリフ外相に制裁をかけるというクソも味噌も一緒くたにしたスタンレー・ホーンベック路線に戻ってしまったのです。
これで本当にイランの問題が平和的に解決するとは私には思えません。