では、簡単に第一次世界大戦で東側に起こった事態を見ていきましょう。

 

ドイツはロシアに対して戦闘で勝利を収めるも有利な講和条約を結ぶことができたのはロシアにおいて革命が勃発したからでした。

 

その時結ばれたのがブレストーリトフスク条約でバルト3国やフィンランドのロシアからの独立が認められましたが、最も重要だったのはドイツがロシアに対してウクライナの独立を認めさせたことだとリーベン教授は指摘します。

 

というのも当時のロシアの主要な輸出品は農産物であり、その大部分がウクライナにおいて作られていたからです。当時のロシアからウクライナを除いたらロシアは大国の地位を放棄せざるを得ない可能性もあったと指摘しています。

 

ドイツがこのように東側で勝利を収め、無制限潜水艦戦などというアメリカを呼び込むような愚かな政策をとらず、英仏と引き分けに持ち込めればドイツ帝国は実質的に勝利をしていただろうとリーベン教授は書いています。

 

ただウクライナを奪われたロシアがおとなしくしているかは疑問であり、後にソビエトはウクライナを再編入していることからも、いずれドイツとロシアが再びウクライナを巡って対立する関係になる可能性は十分に考えられるのでした。

 

私が『炎に向かって』を読みながら強く感じたのはロシアとドイツをめぐるウクライナの問題と日本と中国の間で揉めた満州国の共通性でした。

 

大杉一夫氏の『日中戦争への道』に次のように書いている場所があります。

 

「満州国を事実上の植民地としながら、しかも中国とは仲良くできるなどと考えるのは、日本側の虫のいい勝手な言い分であって果たしてそのようなことを中国側がいつまで許容してくれるものか、まったく保証はないからである。」

 

満州国をウクライナ、中国をロシア、日本をドイツと置き換えれば、リーベン教授が懸念していた事態を描くことが可能です。

 

第一次世界大戦での東側の戦いと第2次世界大戦で東側の戦いの共通点は、ドイツがロシアの戦略的に重要な地域であるウクライナを独立させたことと、日本が中国の戦略的地域である満州を独立させたことにあったのです。