前回は清朝に対するアメリカの理想主義的政策「門戸開放と領土保全」が全く逆の方向に事態を動かしたことを見てきましたが、この政策の失敗によってもアメリカの中国に対する理想主義は死にたえることはなかったのです。

 

日本が戦った相手であるアメリカの大統領、フランクリン・ルーズベルトの東アジア政策は故・鳥居民さんによれば「日本を明治以前の領土に戻し、国民党が指導する中国を大国にする」というものでした。

 

だからルーズベルト大統領が戦後に構想した「4人の警察官」で世界の秩序を維持していこうというものにもフランスなどを押しのけて入っていたのです。(他には英国、ソ連、アメリカ)

 

ただし、国内を統一できていない国民党の中国が本当に東アジアの秩序を維持する助けになるかは疑問が残るところであり、大英帝国のチャーチルやソ連のスターリンはあまり相手にはしていませんでした。

 

なぜ、ルーズベルト大統領がそこまで国民党の中国に対して過度の思いやりを持っていたのかという理由ですが、一つにはもともとルーズベルト家が中国に対する関わりを持っていたことに加え、アメリカの世論の影響が大きかったのではないかと私は考えています。

 

アメリカの外交官であったジョン・アントワープ・マクマリーがその著書『平和はいかに失われたか』でこう書いています。

 

「アメリカにおける宗教組織の強力な党派性は、新聞論調にも反映された。中国国民党は1776年(アメリカの独立の年)の愛国精神と二重写しにされ、蒋介石は中国のジョージ・ワシントンと目されることが少なくなかった。このような動きは、アメリカの議会と行政府の双方に対してかなりの圧力となって作用した。」

 

ここでの問題はアメリカが蒋介石をジョージ・ワシントンと描写する中国への理想主義が本当に意味のあるものだったのだろうかという点です。

 

日本が真珠湾攻撃を行い、アメリカと直接戦うことなり中国とアメリカは真の同盟国になります。

 

アメリカから多数の軍人が中国に派遣され、彼らは実際の中国と直接触れることになるわけですが、理想主義に溢れた中国報道と現実の違いから、国民党の中国に対して幻滅するアメリカ人が続出し、中国共産党に希望を抱くアメリカ人が出てくる始末でした。

 

そしてアメリカの国民党の中国に対する幻滅は、日本が戦争に負けた後の1949年8月5日の『中国白書』の発表で頂点に達します。

 

この白書の中で中国国民党は「腐敗」と「無能」と規定され、アメリカの対中政策はこれから国民党を中心とはしないと宣言され、中国国民党は共産党と内戦を戦っていたにもかかわらず、見事に切り捨てられてしまったのです。

 

ここで私が強く思うのは、果たしてアメリカが1920年代から中国白書のような認識を持って東アジア政策をとっていれば、本当に日本と戦争になっていたのだろうかという疑問です。

 

いずれにしろ、アメリカの中国国民党に対する理想主義は見事に破綻して、最後は国民党を切り捨てるという非情なものになったのでした。