前回書いたようにトルーマン政権のアチソン国務長官はフランクリン・ルーズベルト大統領時代に彼がいない時に勝手に日本に対する石油を禁輸して日本との戦争の原因を作ってしまいました。
また戦後も金日成が韓国への侵略を計画している時にアメリカの防衛線から韓国を外したために北朝鮮の暴発を許してしまいました。
さらに Fredrik Logevall の『戦争の残り火』を読み進めてわかったことはアメリカがヴェトナム戦争にのめり込むきっかけを作ったのもアチソン国務長官だったようです。
第2次大戦後、日本が追放したフランス軍が再びヴェトナムに戻って来ました。
アメリカは欧州の植民地主義に反対する立場と戦後の欧州の安定のためにはフランスの協力が必要だという立場の板挟みにあって、フランスのヴェトナム再植民地化には「中立」の態度で接します。
ところが中国共産党が内戦に勝利し、中国を統一してヴェトナムの北部で優勢だったホー・チ・ミン政権を承認するという新たな展開を迎えます。
ここに至ってアチソン国務長官はフランスの傀儡であるバオ・ダイ政権を承認し、フランスに対する軍事援助を拡大させるのでした。
『戦争の残り火』には毛沢東とスターリンのヴェトナムに対する関わり方が詳しく描かれていますが、彼らの対応は同じような地政学上にある朝鮮でとった対応と一致していました。
スターリンはヴェトナムを援助することでフランスと敵対することを恐れ慎重な態度をとりますが、これはスターリンがアメリカと戦うことを危惧し、金日成の南進に消極的だったことに比例しています。
毛沢東は中国と国境を接するヴェトナムに積極的に援助を行なったことと、朝鮮戦争の時に周りの反対を抑えて参戦を選んだことにも一貫性があります。
問題はアチソン国務長官です。
ヴェトナムで戦うフランスを支持する一方で、韓国を防衛することを放棄するのです。
毛やスターリンと比べて一貫性にかけ、その判断は両方が間違っているという最悪の選択をしているのです。
いずれ歴史の見直しが行われれば、彼の評価は地に落ちるでしょう。
アチソン国務長官の回顧録のタイトルは Present at the Creation で 日本語に訳せば、「創造の現場にいた」となるでしょうか。
そうなのです。彼は太平洋戦争、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争でPresent at the Creation だったのです。
彼の回顧録のタイトルが揶揄される時代はいずれやってくるでしょう。