私は以前から1941年5月(独ソ戦の一ヶ月前)にナチスのナンバー2であったルドルフ・ヘスが突然飛行機でイギリスに渡り、単独で和平交渉を行おうとした理由について興味を持っていました。

 

イギリスの歴史家のイアン・カーショー教授の『ヒトラー』にもこの事件について書かれているのですが、今回この本を読んで私はカーショー教授の説にかなりの疑問を持ちましたのでそのことについて書いてみます。

 

この本にも書かれている通りルドルフ・ヘスはミュンヘン大学の地政学者のカール・ハウスホーファ教授から強い影響をうけており、その教えについてカーショー教授は「ドイツはイギリスと共にボルシェビズムを叩くべきで、イギリスと対立するかたちでボルシェビズムを叩くべきではない」というものだったと書いています。

 

だから「ヘスはヒトラー総統の忠臣としてヨーロッパからボルシェビズムの脅威を防ごうとイギリスとの和平交渉という個人的な介入を試みた」と書いています。つまりヘスはイギリスと緊急に講和して一緒に共産主義と戦おうと主張したというのです。

 

この説が正しいとは私にはとうてい思えません。

 

この問題のポイントはルドルフ・ヘスの師匠であるハウスホーファがソ連との戦争に賛成だったかどうかです。

 

前回ロシアの地政学を紹介したForeign Policy の記事でもハウスホーファについて触れられており、 「マッキンダーと同時代の人物でドイツの陸軍将官であり戦略理論家であったカール・ハウスホーファはベルリン・モスクワ・トーキョーの三国同盟の強い提唱者であった」と書かれています。

 

果たしてこのような考えの人がソ連との戦争に賛成するでしょうか。

 

おまけにハウスホーファ教授は日本に数年滞在したこともあり極東の事情にも通じていました。だから戦力的に有利であった日本が日中戦争で泥沼の状態になった理由も熟知していたでしょう。

 

おそらくハウスホーファ教授はソ連との戦争に強く反対したと思われます。そして教え子のヘスに対して独ソ戦の危険性を説いたのだと私は思います。

 

今回カーショー教授の『ヒトラー』を読んで初めて学んだのはあれほど優秀と言われていたドイツ国防軍なのですが、ヒトラーがソ連との戦いを決めたときにどこからも反対の声があがらなかったことです。(英仏と戦うときにはクーデター騒ぎがありました)

 

ソ連との戦争の危険性をハウスホーファに聞かされたヘスはどうやって無謀な独ソ戦をやめさせればよいのか考えたでしょう。

 

ヒトラーに対して個人的に説得することは不可能でした。そこで間接的な方法を取るしかなかったのです。

 

ヒトラーがソ連との戦争を決めた奇妙な理屈が存在します。それは次のようなものでした。

 

「イギリスがドイツとの講和に応じないのはソ連とアメリカの存在を頼みにしているからであり、現在のアメリカは孤立主義だからソ連さえ打ち負かせばイギリスは講和を求めてくるだろう」

 

ヒトラーは「イギリスと早期に講和を達成するためにソ連を叩くという」奇妙な論理を持っていたのでした。

 

そこで、ヘスにとってソ連との戦争をやめさせるには、ソ連との戦争が始まる前にイギリスとの講和を勝ち取ることだったのです。

 

ヘスはイギリスに対しても正直にソ連との戦争を防ぎたいから講和を結んでくれとは当然言えなかったでしょう。

 

だから誰もヘスの真意に未だに気づかず、ヒトラー研究の第一人者と言われているカーショー教授も正反対のことを書いているのです。

 

ルドルフ・ヘスはソ連との戦争を防ぐためにイギリスに渡ったと私は確信しています。