最後に現在のヨーロッパの状況から東アジアの状況を予想してみたいとおもいます。
ここしばらく、ウクライナの問題でロシアと西側の関係が緊張しているわけですが、ドミニク・リーベン教授のToward The Flameを読んだ後の感想として、あたかもブレスト-リトフスク条約の亡霊が現れてきたような不気味な感覚を感じざるをえませんでした。
結局、歴史というものは現代の状況と完全に切り離して考えることはできないということです。
リーベン教授はこの本の後書きで、なぜかこの本を日本の山中で書いたということを告白していますが、中国について「巷でよく言われているドイツ帝国よりも帝政ロシアに似ているのではないか」と書いています。
ここで思うに、中国で共産主義政権が崩壊してしまったら中国はどうなるでしょうか。
おそらくチベットやモンゴルまたウィグル(おそらく台湾も)などは独立を果たすでしょう。このことについて私に不満はありませんが、問題はそこで終わるかなのです。
日本の保守的な意見ではチベットやウィグルなどの他民族を除いた漢民族の中国がある種の一体性を保って統一してくれることを前提にしていますが、それは正しいことなのでしょうか。
ウィキペディアで「中国東北部」を調べていたら次のようなことが末尾に書かれています。
「清朝時代の満州は荒野が目立つ辺境の地であった。それは満州族の祖地であるため漢人の入植が制限されたからであり、近代にはロシアの極東進出にも晒されたからである。満州国統治時代になると、日本から資本が投下され鉄道や発電所など近代的なインフラが整備された。日本の傀儡政権とはいえ、安定と発展がもたらされた満州国には日本人開拓団の植民はもちろん、当時内戦中だった中国本土からも多くの移民が流入した。その結果、人口が建国時の約3000万から約4500万に膨れ上がった。新京(長春)、奉天(瀋陽)、ハルビン、吉林、チチハルといった近代的な都市が形成された時期でもある。戦後、中華人民共和国の統治下に入った後は改革開放が始まるまで中国随一の工業地帯として同国の経済を支えた。
現在の日本とも関わりが深く、日本に居住する中国人の3割以上は東北部の出身である[2]。日本で学ぶ中国人留学生は、この地域の出身者が最も多い。中国の中では比較的親日的な地域とされており、日系企業の進出が多い地域の一つである。」
こんなことは考えたくないのですが、中国で共産党が崩壊した後で、中国の東北3省が独立して日本に支援を求めてきたら日本はどうするのでしょう。
戦後、日本の歴史家も米英の歴史家の影響を受けてか、満州国といえばそれは条件反射的に傀儡国家と呼ばれるようになりました。
しかしながら、石原莞爾がそんなに多くもない軍隊であっという間に4500万人もの人口を擁する国家を作ることができたのはある種の実態があったと考えた方が納得がいきます。
もし中国で共産党が崩壊した後で、このような仮説が現実に起きたらどうなるでしょうか。
日本にとって悪夢のような事態になりかねません。
そうなれば東北3省を失った中国がそれを取り戻そうとし、日本が中国と独立した東北3省の間でさまよい続けるという現在のウクライナをめぐるのと同じような環境におかれるかもしれないのです。
こんなことは杞憂に過ぎないかもしれません。ただリーベン教授の本を読んで認識したことは歴史は決して過去に封じ込めておけないという厳しい現実なのです。
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ここしばらく、ウクライナの問題でロシアと西側の関係が緊張しているわけですが、ドミニク・リーベン教授のToward The Flameを読んだ後の感想として、あたかもブレスト-リトフスク条約の亡霊が現れてきたような不気味な感覚を感じざるをえませんでした。
結局、歴史というものは現代の状況と完全に切り離して考えることはできないということです。
リーベン教授はこの本の後書きで、なぜかこの本を日本の山中で書いたということを告白していますが、中国について「巷でよく言われているドイツ帝国よりも帝政ロシアに似ているのではないか」と書いています。
ここで思うに、中国で共産主義政権が崩壊してしまったら中国はどうなるでしょうか。
おそらくチベットやモンゴルまたウィグル(おそらく台湾も)などは独立を果たすでしょう。このことについて私に不満はありませんが、問題はそこで終わるかなのです。
日本の保守的な意見ではチベットやウィグルなどの他民族を除いた漢民族の中国がある種の一体性を保って統一してくれることを前提にしていますが、それは正しいことなのでしょうか。
ウィキペディアで「中国東北部」を調べていたら次のようなことが末尾に書かれています。
「清朝時代の満州は荒野が目立つ辺境の地であった。それは満州族の祖地であるため漢人の入植が制限されたからであり、近代にはロシアの極東進出にも晒されたからである。満州国統治時代になると、日本から資本が投下され鉄道や発電所など近代的なインフラが整備された。日本の傀儡政権とはいえ、安定と発展がもたらされた満州国には日本人開拓団の植民はもちろん、当時内戦中だった中国本土からも多くの移民が流入した。その結果、人口が建国時の約3000万から約4500万に膨れ上がった。新京(長春)、奉天(瀋陽)、ハルビン、吉林、チチハルといった近代的な都市が形成された時期でもある。戦後、中華人民共和国の統治下に入った後は改革開放が始まるまで中国随一の工業地帯として同国の経済を支えた。
現在の日本とも関わりが深く、日本に居住する中国人の3割以上は東北部の出身である[2]。日本で学ぶ中国人留学生は、この地域の出身者が最も多い。中国の中では比較的親日的な地域とされており、日系企業の進出が多い地域の一つである。」
こんなことは考えたくないのですが、中国で共産党が崩壊した後で、中国の東北3省が独立して日本に支援を求めてきたら日本はどうするのでしょう。
戦後、日本の歴史家も米英の歴史家の影響を受けてか、満州国といえばそれは条件反射的に傀儡国家と呼ばれるようになりました。
しかしながら、石原莞爾がそんなに多くもない軍隊であっという間に4500万人もの人口を擁する国家を作ることができたのはある種の実態があったと考えた方が納得がいきます。
もし中国で共産党が崩壊した後で、このような仮説が現実に起きたらどうなるでしょうか。
日本にとって悪夢のような事態になりかねません。
そうなれば東北3省を失った中国がそれを取り戻そうとし、日本が中国と独立した東北3省の間でさまよい続けるという現在のウクライナをめぐるのと同じような環境におかれるかもしれないのです。
こんなことは杞憂に過ぎないかもしれません。ただリーベン教授の本を読んで認識したことは歴史は決して過去に封じ込めておけないという厳しい現実なのです。


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