日本が先の大戦を迎えるにあたりアメリカのジョセフ・グルー駐日大使が日本との戦争を防ごうと懸命に努力したことは有名ですが、実はイギリスのロバート・クレーギー駐日大使もグルーと同じような働きをしていました。
残念ながらグルーやクレーギーの提言は本国で全く受け入れられず、アメリカとイギリスは日本と戦うことになってしまいました。
彼らのアドバイスが受け入れられないことで戦争に至ったことについてグルーが声をあげてルーズベルト大統領を批判することはありませんでしたが、クレーギー大使は違いました。彼は1943年の「最終報告書」においてチャーチル政権の無為無策を批判しているのです。
いったい、ロバート・クレーギー駐日大使はどのような外交思想を持っていたのでしょうか。アントニー・ベストというイギリスの学者が書いた『大英帝国の親日派』という本に簡潔にまとめられたクレーギーの章があったので、少し書いてみたいと思います。
ロバート・クレーギー卿は日本の大使になるまでは直接東アジアの政治に関わる機会は無かったようで、それまで日本との接点があったのは1934年から1936年まで続いた海軍軍縮会議ぐらいだったようです。
ゆえにクレーギー大使は日本の歴史や文化に詳しいわけではなく、彼の外交方針の基礎になったのは「パワー・ポリティクスに基づいた現実主義的視点を採用する必要がある」とベストは書いています。
「リアリズム」によって日本を観察するというクレーギーの態度は、アメリカの駐日大使ジョセフ・グルーと同じものでした。
つまり、日本と米英の緊張が増加し始めた時に「リアリズム」を体現したグルーやクレーギーが日本にやって来たことになります。
このような偶然が生んだ人事は日本にとって本来はラッキーなはずでしたが、そうはなりませんでした。
続く。