イスラム教と近代化を両立させることがいかに難しいことかは現在の中東情勢を見ればわかると思います。
この問題に一つのモデルを提供したのがトルコのケマル・アタチュルクでした。彼は政治の場ではイスラム教を否定して徹底した世俗化を進めます。
ケマルのやり方はある程度の成功を見せますが、そこには限界もありました。
議会の選挙をしてみればいつもイスラム教を主体とする政党が多数を占め、政治がイスラム化すれば軍部が介入するクーデターが起こってトルコの政治はなかなか安定しませんでした。
現在のトルコはAKPというイスラムを掲げる政党が政権についており、欧米からはかなりの批判が集まっています。
このことはトルコのこれまでの世俗化路線にやはり限界があることを示すものなのです。
このトルコの世俗化路線に対して意義を唱えたのがイランのイスラム革命だったとレベレット夫妻は書いています。イランはイスラム教と近代化は両立可能だと主張したのです。
私たち日本人はイランの革命がイスラムの「原理主義革命」と習ってきましたが、その視点だけで見ると大変な間違いを起こすと思います。
ホメイニは革命を始めるにあたりイスラム教を中心に考えたのは当然ですが、彼はまたイランの一般国民をいかに政治に参加させるかについても考えを巡らしたのです。
だからイランには国民から選ばれた議会が存在し、政府の権能を抑制したり補助したりする機能を果たしています。
欧米からイランの民主主義に対して一番批判があるのはGuardian Council (監督者評議会)という制度です。
この評議会では大統領の候補者の選定をしているので批判されるのですが、ただこの機関においても議会から選ばれるものが半数に達しており、この機関においてもある程度の民主的な要素を確保しているのです。
日本も大正から昭和にかけての政党の代表が首相に選ばれる以前は元老会議が首相を選定していた歴史的経緯があるわけで「過渡期」の問題としてイランの制度が悪いとは言えないのではないかと思っています。
レベレット夫妻によればイランのイスラムと民主主義を両立させようとする革命はそれなりにうまくいっており、だから他のアラブ諸国においてもイランのモデルがそれなりに評価されていると書いてあります。
トルコ型の世俗化路線が限界を迎えるなか、イランのやり方のほうがうまくいく可能性もあるのです。
ここで少し話を変えます。皆さんはMay Jという歌手をご存知でしょうか。彼女の母親は東大で学位を取ったイラン人だそうで、里帰りの番組がYouTube にありましたのでアドレスを貼っておきます。
http://youtu.be/F8ZwoAslc0E
この番組でイランの全体像はわかりませんが、私には欧米からのバイアスのあるマスコミよりもレベレット夫妻の書いたものの方が信用できそうです。