最後に冷泉さんを代表とする「親米」派の人々に対する違和感を書いておきます。

以前、同志社大学の村田教授の本を読んだときにも感じたのですが、この人たちはアメリカが失敗したことに対しては思いをはせるのですが、日本が失敗したことにはそのような気遣いがなく冷泉氏のように「歴史修正主義」と断罪してしまうのです。

ヴェトナムでアメリカが虐殺事件を起こしたことについて「例えば個々の虐殺事件に対しても、ミクロ的には『非戦闘員をゲリラと誤認する中で恐怖心が暴走した』ものだという理解があるわけ」だとアメリカ側に思いを馳せて冷泉氏は書いているわけですが、日本が中国で起こした虐殺事件でもそのような可能性があったとは考えないみたいのです。

またベトナム戦争について「大量の兵力を投入しつつゲリラ戦争では敗北を続ける中で、アメリカの敗色は濃厚となっていった。だが敗北を認め、南ベトナム政府が崩壊するであろうことを黙認する決断に至るには軍部のメンツと保守派の反発の中で時間を要したのである」と書いていますが、これなどは日中戦争時に近衛総理が東条陸軍大臣に中国からの撤兵を主張したときの東条の言い訳とそっくりなのですが、おそらくこれも冷泉氏から見れば歴史修正主義になるのだと思います。

このように現在の「親米派」はアメリカの失敗についてはなぜか優しいのですが、これが日本だと容赦しないのです。

親米派の問題点は歴史に止まりません。

それは、アメリカがこれからもイラク戦争のような「不法」な戦争をした場合にどのような立場をとるのかが明確でないことです。

冷泉さんはイラク戦争において小泉首相がとった態度を「打算的」だとは批判していますが、本人はこの戦争について「9・11のテロに対する報復戦争」だったと今でもネオコンに騙されたままの大嘘を書いています。(イラクには核兵器もありませんでしたし、ビンラディンとも全く関係がありませんでした。)

現在のアメリカの政界はハーバード大学のスティーブン・ワルト教授がいうようにネオコンとリベラル介入主義者が未だに多数を占めているようで、これからもイラク戦争のようなとんでもない戦争をしかねないのです。

それでも現在の「親米派」はアメリカを支持するのでしょうか。

実はアメリカが現在行っている外交と「歴史認識」の問題は明確にリンクしています。

私はネオコンとリベラル介入主義者が主導するアメリカの現在の外交に半ば愛想をつかしていますが、将来には希望を持っています。

そのことは冷泉さんの本にも書かれています。

冷泉さんはこの本で「アメリカとは無関係な局所的な紛争への介入には反対」とする共和党のランド・ポール議員を取り上げ、また「『強いアメリカの復活』などという『カネがかかる一方で世界から嫌われる』政策を期待する意見は特に若い共和党支持者の間では少ないのである。」と指摘しています。

この若い共和党支持者の外交思想は決してネオコンやリベラル介入主義ではあり得ず、それはリアリズムや孤立主義(昔は非介入主義と呼ばれていた)という思想になるはずです。

ネオコンやリベラル介入主義者たちのアメリカ「帝国主義」はますます混迷を深めていくでしょう。そしていずれリアリズムや孤立主義(非介入主義)を支持する共和党が天下を取る日がやってきます。

そのときに彼らが真っ先に手をつけることが、NATOや日米安保などの既存の同盟関係を整理することにあると私は思っています。

そうなれば日本もアメリカに対する「ねじれ」が解消され、ここにいたってようやく憲法の改正がなされるでしょう。

さらに言えることは、将来の孤立主義(非介入主義)やリアリズムを支持する共和党のアメリカ人の歴史認識がどのようになるかといえば、それは介入主義を始めたフランクリン・ルーズベルト大統領を批判的に見ることが確実だということです。

そうなった時に取り上げられる書籍は共和党出身のハーバート・フーバー大統領の回顧録『裏切られた自由』やハミルトン・フィッシュ共和党議員が書いた『ルーズベルトの開戦責任』が含まれることになるでしょう。

これらの本は冷泉さんの立場からすれば「歴史修正主義」にあたるでしょうが、ようやくその立場がアメリカでも認められる可能性があるのです。これらの本で共通して書かれているのはいかに近衛文麿首相のアメリカへの和平提案が真剣なもので、それを無視したルーズベルト大統領を鋭く批判したものでした。

日米安保の破棄と歴史の見直しは直接結び付いているのです。

しかし、そうなるまではもうしばしの時間が必要です。

現在のアメリカ外交を肯定し、日本の歴史についての言い分を「歴史修正主義」と批判するのが現在の親米派の立場なら私は全くそれに与することはできません。