冷泉彰彦氏が書いた『「反米」日本の正体』という本を読みました。この本を読んだ感想と違和感を書いてみたいと思います。

冷泉さんはこの本の中で、日本の保守とリベラルはどちらもアメリカに対して「ねじれ」を抱えているといいます。

保守の場合は「表面的には親米であっても、その裏にある『保守』というイデオロギーには『反米』的な価値観を伴っている」ことにあるといいます。

これは「歴史認識」や「歴史修正主義」という表現で語られる問題です。

一方日本のリベラルは本来「人権」や「民主主義」の問題でアメリカの理念に対して親和性があるはずなのですが、決してそのようにはならず、「日本のリベラルにある『反戦、反米』の意識には『倫理的な優越』を志向するナショナリズムの変形がある」というイアン・ブルマという学者の言葉を引用されています。

このように日本の「保守」や「リベラル」はどちらもアメリカに対する「ねじれ」を抱えており、これを放置しておくとアメリカ側に「疲労感」が蓄積されて、それがやがて日米同盟の破綻を迎えるのではないかという冷泉さんの懸念なのです。

私は冷泉さんのこのような分析は正しいと思っていますが、どこか違和感があることも事実で、ここからはその違和感について書いてみます。

「日本を覆っている『無責任』や『みじめさ』『弱さ』の元凶はアメリカではなく、不毛な左右イデオロギーの対立であった」と冷泉さんは書いています。

これは全くその通りですが、この不毛な左右のイデオロギー対立の大部分が役割を終えた「日米安保」を維持していることからきているのではないかというのが私の冷泉さんに対する反論です。

現在リベラルである日本の護憲論者は憲法を変えようとする安部総理を呪っていますが、もし日米安保がなくなり日本がアメリカに守られることがなくなった時でも、護憲論者達は今の自分の立場を維持することが可能なのでしょうか。

現在の日本のリベラルの堕落は、日本がアメリカに守られることを前提に憲法9条を変えようとする安部総理を憎むという偽善を行っているのです。

一方「保守」の側にも堕落があります。冷泉さんは「歴史認識」を問題にしますが、それよりももっと深刻な問題です。

この本にも書かれていますが、日本の小泉政権はアメリカのイラク戦争に賛成しました。イラク戦争は明らかに国際法違反の「予防戦争」(preventive war)でした。

小泉総理はこれによってアメリカに貸しを作ることによって将来アジアで何かが起きた時にアメリカに助けてもらうことを考えたのかもしれませんが、日本は自分で国を守る努力を放棄してアメリカに追随したのでした。

別の言葉で言えば、小泉政権は「アメリカ帝国主義の走狗」になってしまったのです。日本の保守のこれ以上の堕落は考えられないでしょう。

アメリカに守られながら憲法9条を訴える日本のリベラルとアメリカに守ってもらうためにアメリカの帝国主義を支持する日本の保守が「不毛」な対決をしているというのが現在の日本の滑稽な姿なのです。

このような悲惨な状態に至ったのはやはり賞味期限の切れた「日米同盟」を維持しているからだとしか私には思われません。

次回に続く