アメリカの外交思想の中に「リアリズム」と呼ばれる考え方があります。
「リアリズム」という言葉を直訳して「現実主義」と呼ぶ向きもあるのですが、これだけだとどうにも物足らない気がしており、一番しっくりとする解釈は「相手の立場に立って物事を考えることができるかどうか」だと私は思っています。
「相手の立場に立って物事を考えることができる」ことによって相手がどのくらい譲歩することができるかを察し、自国の国益を無理なく実現することによって長期的な友好関係を維持することが可能となるのです。
このような外交思想を体現するアメリカ人の例として戦前に中国の公使を勤めたアントワープ・マクマリーや駐日大使を勤めたジョセフ・グルー、ソ連の「封じ込め」政策で有名になったジョージ・ケナンを挙げることができるでしょう。
外交官ではありませんが、ハーバード大学のスティーブン・ワルト教授も現代アメリカの「リアリズム」を体現している学者であり、彼がどのような発言をしているのかをずっと観測しています。
さて今回イランとの核協議が暫定的な合意ができたことでワルト教授が『フォーリン・ポリシー』に一文を書かれているので参考にしてみたいと思います。
教授は核合意の内容それ自体は決して重大な問題ではないと主張します。それよりも大切なことはこの合意を土台にしてイランを「国際社会」の一員として迎えることの方がはるかに重要だと説くのです。
「ここで問題なのは、イラン革命以来または国連が厳しい経済制裁をかけてから、いかにしてイランをこの『ペナルティー・ボックス』から徐々に脱出させることができるかどうかにある。このペナルティー・ボックスから脱出できればイランの経済は回復し、ワシントンとテヘランの外交関係が復活することに道を開き、徐々にこの両国の関係がもっと普通にビジネス・ライクなものになることを可能にするだろう。」
http://foreignpolicy.com/2015/04/12/iran-nuclear-deal-obama/
これと全く同じようなことをグルー駐日大使が戦前の日本について書いていますので、それを翻訳してみます。
「日本は完全な計算違いからおちいった、とても危険なポジションからどうにかして抜け出そうと努力している。……外の世界の出来事が衝撃となり、日本の政治の土壌に新たな種を植える環境が生まれつつある。もしもこの種を注意深く植えて育てることができたら、再生された思考が芽生え、アメリカと日本の関係が再調整されることになるかもしれない。」
Herbert Hoover ,"Freedom Betrayed",p 272
ワルト教授が「ペナルティー・ボックス」の中にいるイランと例えたことをグルー大使は「新たな種を蒔く」と例えたわけですが、両者とも結論は同じで、それまでの敵対的な関係から普通の関係に戻すことができるのではないかと考えたのです。
ワルト教授やグルー大使の書いたものを読んで、「相手の立場に立って物事を考える」ことができていると思われませんか。
これが私が尊敬するアメリカ外交の「リアリズム」の力なのです。
ただ残念ながらアメリカの民主主義政治においてアメリカの「リアリズム」はいつも少数派なのです。
冒頭でとりあげたアントワープ・マクマリーはワシントン会議以後ナショナリズムが高まった中国がそれまでの取り決めを「革命外交」によって無視することによって日本と中国が対立することを恐れました。
だからマクマリーはアメリカが力を使ってでも中国に条約を守らせようとワシントンに警告を発しましたが完全に無視されてしまいます。
後になってマクマリーの懸念は「満州事変」や「日中戦争」といった形で具現化するのですが、その時点ではもう遅すぎました。
グルーの場合も同様でどうにかして日米戦争を避けようと、近衞首相とルーズベルト大統領の首脳会談を模索するのですが、これもうまくいきませんでした。
ケナンが説いたソビエトに対する「封じ込め」も動機は政治的なものでしたが、いつの間にか核兵器を何万発作るのかという軍事的なものに変質し、彼は落胆してワシントンを去ることになります。
私のアメリカ外交の「リアリズム」とは、いつもうまくいくことを期待しているのですが、結局は実現しない蜃気楼のようなものなのです。
果たして今回ワルト教授のイランに対する「リアリズム」は本当に完成するのでしょうか。

「リアリズム」という言葉を直訳して「現実主義」と呼ぶ向きもあるのですが、これだけだとどうにも物足らない気がしており、一番しっくりとする解釈は「相手の立場に立って物事を考えることができるかどうか」だと私は思っています。
「相手の立場に立って物事を考えることができる」ことによって相手がどのくらい譲歩することができるかを察し、自国の国益を無理なく実現することによって長期的な友好関係を維持することが可能となるのです。
このような外交思想を体現するアメリカ人の例として戦前に中国の公使を勤めたアントワープ・マクマリーや駐日大使を勤めたジョセフ・グルー、ソ連の「封じ込め」政策で有名になったジョージ・ケナンを挙げることができるでしょう。
外交官ではありませんが、ハーバード大学のスティーブン・ワルト教授も現代アメリカの「リアリズム」を体現している学者であり、彼がどのような発言をしているのかをずっと観測しています。
さて今回イランとの核協議が暫定的な合意ができたことでワルト教授が『フォーリン・ポリシー』に一文を書かれているので参考にしてみたいと思います。
教授は核合意の内容それ自体は決して重大な問題ではないと主張します。それよりも大切なことはこの合意を土台にしてイランを「国際社会」の一員として迎えることの方がはるかに重要だと説くのです。
「ここで問題なのは、イラン革命以来または国連が厳しい経済制裁をかけてから、いかにしてイランをこの『ペナルティー・ボックス』から徐々に脱出させることができるかどうかにある。このペナルティー・ボックスから脱出できればイランの経済は回復し、ワシントンとテヘランの外交関係が復活することに道を開き、徐々にこの両国の関係がもっと普通にビジネス・ライクなものになることを可能にするだろう。」
http://foreignpolicy.com/2015/04/12/iran-nuclear-deal-obama/
これと全く同じようなことをグルー駐日大使が戦前の日本について書いていますので、それを翻訳してみます。
「日本は完全な計算違いからおちいった、とても危険なポジションからどうにかして抜け出そうと努力している。……外の世界の出来事が衝撃となり、日本の政治の土壌に新たな種を植える環境が生まれつつある。もしもこの種を注意深く植えて育てることができたら、再生された思考が芽生え、アメリカと日本の関係が再調整されることになるかもしれない。」
Herbert Hoover ,"Freedom Betrayed",p 272
ワルト教授が「ペナルティー・ボックス」の中にいるイランと例えたことをグルー大使は「新たな種を蒔く」と例えたわけですが、両者とも結論は同じで、それまでの敵対的な関係から普通の関係に戻すことができるのではないかと考えたのです。
ワルト教授やグルー大使の書いたものを読んで、「相手の立場に立って物事を考える」ことができていると思われませんか。
これが私が尊敬するアメリカ外交の「リアリズム」の力なのです。
ただ残念ながらアメリカの民主主義政治においてアメリカの「リアリズム」はいつも少数派なのです。
冒頭でとりあげたアントワープ・マクマリーはワシントン会議以後ナショナリズムが高まった中国がそれまでの取り決めを「革命外交」によって無視することによって日本と中国が対立することを恐れました。
だからマクマリーはアメリカが力を使ってでも中国に条約を守らせようとワシントンに警告を発しましたが完全に無視されてしまいます。
後になってマクマリーの懸念は「満州事変」や「日中戦争」といった形で具現化するのですが、その時点ではもう遅すぎました。
グルーの場合も同様でどうにかして日米戦争を避けようと、近衞首相とルーズベルト大統領の首脳会談を模索するのですが、これもうまくいきませんでした。
ケナンが説いたソビエトに対する「封じ込め」も動機は政治的なものでしたが、いつの間にか核兵器を何万発作るのかという軍事的なものに変質し、彼は落胆してワシントンを去ることになります。
私のアメリカ外交の「リアリズム」とは、いつもうまくいくことを期待しているのですが、結局は実現しない蜃気楼のようなものなのです。
果たして今回ワルト教授のイランに対する「リアリズム」は本当に完成するのでしょうか。
