アメリカにリバタリアン(libertarian)という思想があります。個人の「自由」を最大限に尊重しようという考え方です。

カトー研究所などがこの思想では有名ですが、この研究所の外交論は冷戦後においてNATOや日米安保は役割を終えたのだから、廃棄せよと一貫して主張しています。

日本や韓国に対しても自分の国は自分達で守るべきで、アメリカは不必要な戦争に巻き込まれないためにも冷戦後に不必要になった同盟は処分すべきだというのです。

私は彼らの考えに好意的なのですが、残念ながらこれまでアメリカ政府からは全く相手にしてもらっていません。

前回紹介した『誅韓論』の主題である「日本はもうこれ以上韓国に関わるべきでない」という考え方は日本版リバタリアン外交とも言うべきもので傾聴に値します。

しかしながらそれが本当に実行可能なものか疑問に思うことがあります。

第二次世界大戦後、アメリカは日本を朝鮮半島から切り離そうと努力します。

1949年3月にマッカーサー将軍はアメリカの新聞に次のように語っています。

「我々の防衛線はアジアの海岸周辺にある一連の島々にそって引かれている。
それはフィリピン諸島から始まり、沖縄という要塞を含む琉球諸島に沿っている。そしてその線は、日本とアリューシャン列島を経てアラスカに向けて曲線を描いている。」

アチソン国務長官もマッカーサー将軍と同じ考えで、結局トルーマン大統領は1949年に朝鮮半島から全てのアメリカ軍を撤退させたのです。

ところが1950年に北朝鮮が韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まるとトルーマン大統領やマッカーサー将軍は180度立場を変えてしまうのです。

その理由をキッシンジャー元国務長官は『外交』という本でこう説明しています。

「韓国へ成功裏に侵攻することは、狭い日本海の反対側に位置する日本に対して破滅的な衝撃を与えることになっていたであろう。日本はつねに朝鮮半島を北東アジアにおける戦略の要と考えてきた。抵抗を受けずに共産主義者が支配することになれば、アジア全体が共産主義の一枚岩になるという恐れを生み、日本の親欧米的な方向性を揺るがすことなったであろう」

トルーマン大統領もマッカーサー将軍もキッシンジャー国務長官も日本の安全と朝鮮半島の問題は切り離せないと認識したのです。

ちなみに日露戦争時の外相、小村寿太郎は「もし、他の強国が朝鮮半島を有するに至ったならば、日本の安全は常に脅かされてしまい。到底無事を保つことができない。このような自体を、日本は絶対許容することができないので、これを予防するのが日本伝統の政策とも言える」と語っています。

たしかにアメリカは日本を朝鮮半島から切り離す努力をしましたが、最後には小村寿太郎と同じ結論に至ってしまうのです。

現在の朴クネ政権のやり方を見て「朝鮮半島と関わらない」日本版リバタリアン外交に憧れを抱くのはわかりますが、果たして戦後のアメリカですら日本の安全と朝鮮半島は切り離せないと悟ったのですから日本版リバタリアン外交がそう簡単に実行できないことは明らかです。