前回ルーズベルト大統領の独ソ戦におけるソビエトの一方的な応援はバランス・オブ・パワーを無視したものでいずれ禍根を残すことになると予想したフーバー大統領の言葉を紹介しましたが、じつはアメリカは現代でもそれと全く同じことを懲りずに繰り返しています。

それは中東におけるイランとイラクに対する扱いです。

冷戦中は、アメリカはこの2国に対してどちらの国も圧倒的な力を持たないようバランス・オブ・パワーの考えで対処します。イラン・イラク戦争ではイラン革命の影響力の拡大を恐れたアメリカはイラク寄りの立場に立ちます。(この戦争はイラクが開始し、さらにサダム・フセインはイランに対して化学兵器を使いましたが、それでもアメリカはフセインを応援したのです)

冷戦が終わった後、イラクがクウェートを侵略した時もアメリカはクウェートを奪い返すことはしましたが、多国籍軍をバグダッドまで侵攻させることはなくイラクの力をある程度は温存させました。

ところがクリントン大統領の時代からおかしくなってきます。彼はイランとイラクの「二重封じ込め」(Double Containtment)と称してイラクに対しても強烈な経済制裁を課します。その結果、イラクの乳幼児の死亡率が著しく増加したことが報道されていました。

そしてアメリカで9・11テロ事件が起こるとブッシュ・ジュニア大統領はテロとは何の関係も無いイラクに突然攻め込むのです。イラク戦争を主導したネオコンと呼ばれる人達はこの戦争でイラクに民主主義をもたらすと意気込んでいましたが、結局はカオス以外の何物ももたらすことはありませんでした。

それ以上にイラクではそれまでスンニ派が政権を握ってきましたがこの戦争によってイランと同じシーア派が政権を奪還してしまったのです。

そしてあちらこちらのメディアでイラク戦争の真の勝者はイランではないかと囁かれるようになったのです。

アメリカが無条件にソビエトを支援した結果と同じことが繰り返されてしまったのです。

果たして、ネオコンの人達はじつは本当の脅威はイランだったと今度はイランに対して爆撃することを進言していますが、アメリカは今のところ思いとどまっています。しかし、これからどうなるか予断を許しません。

アメリカはまたしても自分の失敗の結末をつけるはめになってしまいました。

ところでアメリカが中東でバランス・オブ・パワーを無視して戦争をしている間に重大な変化が起き始めているので次回はそれについて書いて見たいと思います。