フーバー元アメリカ大統領の回顧録を読んでいて不思議に思える部分があります。

それは最初の章で、アメリカの労働組合などの組織にどのような共産主義者がいたかを細かく記述している点です。あまりにも詳しく書いているのでだんだん退屈になり読み飛ばしてしまおうかと考えたくらいです。

どういう意図で書かれていたかは最初はわかりませんでしたが、読み進めていくうちにだんだん理解できてきました。

それは当時のフランクリン・ルーズベルト大統領がナチス・ドイツなどの右派についてはアメリカにとって脅威と正しく認識していたのですが、なぜかスターリンの共産主義に対する脅威の認識に著しく欠けていたのでした。

保守派のフーバー大統領にとってはナチズムとスターリニズムは全体主義という意味では同じだったのです。

フーバー大統領は1938年にヨーロッパ諸国に情勢視察の旅に出ます。さすがにアメリカの元大統領らしく、対談相手は各国の元首クラスや経済界のリーダーたちでした。

この旅行によって欧州ではいずれ戦争が起こることは避けられず、最後にはヒトラーとスターリンの戦いになるだろうとの確信を抱くのです。

イギリスとドイツが戦うことになった時、ルーズベルト政権がイギリスに対して援助することはフーバー大統領にとっては何ら問題がなかったのですが(彼はドイツと直接戦うことには反対でした)ドイツとソ連が戦い始め、ルーズベルト政権が無条件でソビエトを応援することに激しい危機感を抱きます。

If we go further and join the war and we win, then we have won for Stalin the grip of communism on Russia, the enslavement of nations, and more opportunity for it to extend in the world
(我々がさらに進みこの戦争に参加して勝ったとしたら、スターリンがロシアの共産主義を維持することを確固なものにさせ、他の国を奴隷化させることを助け、さらに共産主義を広げる機会を与えてしまう)

この文章は後の米ソ冷戦の原因をあからさまに示しています。

ではフーバー大統領の戦略はどういうものだったのでしょうか。

彼は基本的にヒトラーとスターリンを好きなだけ戦わせれば良いと考えていました。そしてアメリカはその戦争に巻き込まれないようにしつつもしっかりと軍備の充実を図り時を稼ぐ戦略でした。

いずれドイツとソ連が戦いに疲れることになれば、アメリカは軍事的にも道義的にも強い立場になりアメリカにとって有利な戦略環境が得られると考えていたのです。日露戦争でポーツマス条約を結ばせたセオドア・ルーズベルト大統領の立場と同じです。

このようなフーバー大統領の立場は現代のアメリカでは「孤立主義」と呼ばれ、何かと批判にさらされていますが、本当に間違っているのでしょうか。

本来アメリカの「孤立主義」という考え方はバランス・オブ・パワー(勢力均衡)の考え方とは合い入れないものと考えられてきましたが、1941年6月22日から始まった独ソ戦においてはアメリカの「孤立主義」の考え方は十分に勢力均衡の思想を内包している政策となっていたのです。

一方ルーズベルト大統領の介入主義は一方的にソビエトを利することとなり、フーバー大統領が予測したようにアメリカは長きにわたって冷戦を戦うはめになるのです。

どうもアメリカのする戦争にはバランス・オブ・パワーの考え方が不足しており、かえって以前よりも状態を悪化させることがままあるような気がしています。

次に続く。