繰り返しますが、「李承晩ライン」事件とは1952年に韓国の李承晩大統領が国際法を無視して一方的に海洋の境界線を引き、日本から竹島を奪い日本の漁師を拿捕してしまうというものでした。

この事件の異常さはシンシアリー氏も指摘しているように朝鮮戦争が続いている時に行われているのです。

朝鮮戦争は北朝鮮と中国が韓国を攻撃しアメリカが韓国を助けているという構図でした。当時の日本はアメリカ軍に対する兵站の役割を担っていましたから韓国にとっては「準同盟国」の役割を果たしているはずなのです。

ところが李承晩大統領はその「準同盟国」たる日本に対して攻撃を開始してしまうのです。

この李承晩大統領のわけのわからない行動が反日思想からきていると言われればそれまでですが、そこにはもっと深刻な問題が隠れている気がします。

じつは李明博大統領が2012年8月10日に突然竹島に上陸するという暴挙を冒しましたが、その時の韓国をめぐる環境があまりにも李承晩ラインの時代に似ていることに気がつきましたのでそのことについて書いてみたいと思います。

李明博大統領時代の韓国と北朝鮮の関係ですが、2010年3月26日に韓国の哨戒艦「天安」が北朝鮮の魚雷によって沈められるという事件が起こっています。また同じ年の11月23日に延坪島というところで朝鮮人民軍が砲撃するという事件が起こっています。

さらに北朝鮮は着々と核開発も進めていましたから、安全保障面では韓国は北朝鮮にやられっぱなしだったのです。

私はこれらの事件が起きた時に韓国はなぜ反撃しなかったのか疑問に思ったのですが、どうも同盟国のアメリカに止められていたみたいです。かといってアメリカが韓国に変わって反撃してくれることもなかったので韓国はアメリカに対しても不満たらたらでした。

李承晩大統領が李承晩ラインを勝手に引いた1952年も戦線は38度戦でこう着し、アメリカもとっくに統一朝鮮を作るという意欲は失っていました。李承晩はそのことについて不満だったでしょう。

そして中国です。

これも李明博政権下のことですが、アメリカは日本と韓国に対して日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA、通称「情報保護協定」)という軍事情報を共有する協定を2012年の6月に結ばせたかったのですが、署名当日になって大統領がキャンセルするという事態を引き起こします。

この背景には中国からの恫喝があったと日経ビジネス・オンラインの鈴置記者が指摘しています。

7月3日の中国の新聞『環球時報』の社説には「韓国に影響を及ぼせる手段を中国は数多く持つ。李明博政権による中国に対する非友好的な動きを、韓国の内側から止められない場合、中国はそれらの手段を使って自らの立場を明らかにせねばならない」と書かれてありました。

つまり2012年の李明博政権は、北朝鮮からの軍事的恫喝と中国からの経済的依存を逆手にとった脅かしを受け、アメリカも自分の思うように動いてくれないという状況だったのです。

それよりちょうど60年前の李承晩の立場も似たようなものでした。韓国は北朝鮮と中国から軍事的攻撃を受け、頼みのアメリカも38度戦から動けなかったのです。

李承晩、李明博という保守政権にとっての1952年と2012年は韓国の外交的矛盾が頂点に達した年だったのです。

そこでこれらの保守政権がとったこの外交的矛盾を解消する手段が「反日」だったのです。李承晩は李承晩ラインに活路を求め、李明博は竹島に上陸しました。

しかしながら彼らの反日は本当に韓国の外交的矛盾を解消してくれるのでしょうか。

いくら大統領が竹島に行こうと北朝鮮の軍事的脅威が減るわけでもなく、中国の恫喝が収まるわけでもありません。アメリカがこれまでよりも韓国のいうことを聞いてくれることも無いのです。

結局、韓国の反日外交はリアリズムの正反対に位置するものなのです。

これまで李明博大統領の竹島上陸は韓国の発展と日本の衰退によるものだと語られることが多かったのですが、李承晩ラインとの比較ではそれとは全く違う結論が導き出せます。

韓国の保守政権の外交的行き詰まりを反日で解消しようとしただけのことでしたが、何も解決できなかったのです。