今回は少し脱線します。
前回1936年の西安事件が支那事変(日中戦争)にいかに寄与したかを書きましたが、西安事件はそれだけにとどまりませんでした。
昭和20年に日本は敗戦を迎えましたが、いよいよ中国国内では国民党と共産党の戦いが激しくなります。
旧満州には日本人が作った自動車製作工場や兵器工場などの多数の工業施設を抱えていました。満州の重工業は中国全土の90%の割合を占めていたそうです。
当然、中国の国民党も共産党もどうにかして満州地方を獲得しようと躍起になります。
じつはこの点では国民党の蒋介石の方が遥かに有利な立場にありました。なぜなら旧満州を牛耳っていた張学良を抱えていたからでした。
ところが、ここに「西安事件」の影が及んできます。この事件で監禁された蒋介石はその時の屈辱を忘れることができずに大戦後も逆に張学良を監禁し続けるのでした。
鳥居民さんは遺作『それでも戦争できない中国』で大変おもしろい仮説を検討されています。監禁していた張学良を満州に戻してやれば、どうなっていただろうかというのです。
「1945年、彼らのヤング・ジェネラルであった張学良将軍と東北出身の政治家、将領達が十数年ぶりに故郷に戻ったなら、4500万人の東北人民は涙にむせび、忠誠を誓ったであろう。」
もちろん蒋介石にはそのような度量はなく、結果として満州を失い、中国全土を失うことになったのです。
昭和11年に起こった「西安事件」は、日本と中国が戦うきっかけとなるばかりではなく国民党が中国を失う事態をも招いたのです。
いかに「西安事件」が中国国民党にとって、いやアジア全域にとって重大な事件であったかが認識できます。
次はいよいよ尖閣問題です。
前回1936年の西安事件が支那事変(日中戦争)にいかに寄与したかを書きましたが、西安事件はそれだけにとどまりませんでした。
昭和20年に日本は敗戦を迎えましたが、いよいよ中国国内では国民党と共産党の戦いが激しくなります。
旧満州には日本人が作った自動車製作工場や兵器工場などの多数の工業施設を抱えていました。満州の重工業は中国全土の90%の割合を占めていたそうです。
当然、中国の国民党も共産党もどうにかして満州地方を獲得しようと躍起になります。
じつはこの点では国民党の蒋介石の方が遥かに有利な立場にありました。なぜなら旧満州を牛耳っていた張学良を抱えていたからでした。
ところが、ここに「西安事件」の影が及んできます。この事件で監禁された蒋介石はその時の屈辱を忘れることができずに大戦後も逆に張学良を監禁し続けるのでした。
鳥居民さんは遺作『それでも戦争できない中国』で大変おもしろい仮説を検討されています。監禁していた張学良を満州に戻してやれば、どうなっていただろうかというのです。
「1945年、彼らのヤング・ジェネラルであった張学良将軍と東北出身の政治家、将領達が十数年ぶりに故郷に戻ったなら、4500万人の東北人民は涙にむせび、忠誠を誓ったであろう。」
もちろん蒋介石にはそのような度量はなく、結果として満州を失い、中国全土を失うことになったのです。
昭和11年に起こった「西安事件」は、日本と中国が戦うきっかけとなるばかりではなく国民党が中国を失う事態をも招いたのです。
いかに「西安事件」が中国国民党にとって、いやアジア全域にとって重大な事件であったかが認識できます。
次はいよいよ尖閣問題です。